2006年03月08日

貨幣流通速度異変

マネーサプライの12月速報が、1月11日に発表された。
悪夢の年、2001年の12月(平残)わが国のマネタリーベースは、日銀券発行高64.3兆円、貨幣流通高4.2兆円、日銀当座預金10.8兆円、合計79.4兆円であった。12月のマネタリーベースは前年同月比では実に16.9%という急増である。通常の年の年末資金ぐりのほか、9月の同時多発テロ後の世界的景気後退と、わが国の金融システム不安を回避するために、このところ日銀当座預金を増加させてきた結果である。このマネタリーベースをコアとして、経済活動につかわれている資金の総量であるマネーサプライも増加している。代表的な指標であるM2+CDは、12月平残662.2兆円で越年した。前年同月比3.4%の増加である。

景気は相変わらず名目GDP成長率がマイナスかゼロである。だから経済活動に必要なマネーはこんなに多くは必要ない。別の言い方をすれば、マネタリーベースを前年比16.9%、マネーサプライを前年比3.4%増加させるという画期的な量的金融緩和をつづけても景気は少しもよくならないのである。異常なことが起こっているのだ。

貨幣数量説というものがある。アービング・.フイッシャーはそれを、MV=PT と表した。M=貨幣供給量、V=貨幣の流通速度 P=一般物価水準、T=取引量であり、一般物価水準に取引量を掛けたPTは名目GDPと思えばよい。ここで貨幣の流通速度は短期的には変動が少ないと考えられてきた。だとすれば、貨幣供給量をふやせば、経済全体がフル稼働で、取引量がもはや増加しない古典派の経済学では、一般物価水準があがるしかない。
経済全体に過剰能力があるケインズ経済学では、物価があがらずに取引量がふえる。こうして金融の量的拡大は景気刺激に有効なはずである。


最近のわが国経済は、設備能力も労働力もあまっていて物価があがる状況ではない。現に物価Pは毎年さがりつづけている。そういう状況なのに貨幣供給量Mをいくら増加させても、取引量Tは活発にならない。MV=PTと要素は4個しかないから、のこりのひとつ貨幣の流通速度Vに原因があるのだ。貨幣の流通速度が短期的には変化がすくないということがおかしいことになる。MV=PTの右辺は名目GDPでよい。Mの貨幣供給量はマネタリーベースでもよいが、もっと広義にとらえ経済全体でつかわれている現金通貨と預金通貨を合わせたものがよい。そこで貨幣供給量としてマネーサプライ統計のM2+CDをとる。MV=PTはMV+M'V'=PTへと書きなおし、左辺の第1項は現金通貨の供給量とその流通速度、第2項は預金通貨の供給量とその流通速度である。

昨2001暦年の名目GDPは505.5兆円である。これにたいしてM2+CDは662.2兆円である。だから貨幣の流通速度は0.76回転である。毎年しらべてみると93年以降こうなっている。

93年0.95,94年0.94,95年0.93,96年0.92、97年0.91,98年0.86、99年0.83,00年0.81,01年0.76。

グラフにすれば分かり易いが、いちじるしい貨幣流通速度の低下であり、昨年はそれがはげしい。この原因の分析は次回にのてみたい。今日は長い経済学の歴史のなかで起こらなかったことが、いまわが国でいろいろ起こっている。それをまず直視しよう。事実の冷静な観察をわたしの新年の課題としよう。
  

Posted by kinnyuuronnsawa at 18:49

サラ金高収益の謎

上場会社の99年度の決算がでそろった。日本経済新聞(6.8 )によると連結ベースの経常利益額の1位はトヨタ自動車の4067億円で、2位の本田技研2624億円を大きくひきはなしている。ベスト10には、4位 野村証券 5位 東京三菱銀行 8位 三和銀行 9位 武富士 10位 大和證券グループなどと 金融・証券が半分をしめている。不良債権の償却で税引利益はすくないが、期間の本当の損益をあらわす経常利益では、金融・証券の収益回復がめざましい。

いわずとしれた低金利政策の恩恵にほかならない。

回復ではなく、ひきつづき好調をつづけるのはサラ金といわれてきた消費者金融大手だ。武富士9位 アコム17位 プロミス28位とランキングに名をつらねている。

消費者金融大手は経常利益の絶対額もさりながら、収益効率がきわめて高い。

トップをゆく武富士の99年度の公表資料をながめてみよう。

営業収入は顧客がはらう金利である。この会社に口座をもっている人は280万人、年率25%の金利をはらっており、それが営業収入である。

そこからすべての経費を差引いて55%が経常利益になっている。

営業収入を100とする。顧客に貸す金をこの会社は調達しなければならない。それに払う金利が7-8%,約3500名の人件費が6-7%,テレビ広告から駅頭でくばられるテイッシュまで広告宣伝費が4%,えんむすびやATMなどの機械や店舗のリース料が3%,保険料が4%

減価償却費が2%などで、大きな経費はこれだけ、あとはこまごまで合計45%だ。

都市銀行だろうが、世界をまたにかけたメガ・バンクだろうが、顧客にお金をかすという仕事にはきまったリスクがある。それは「情報の非対称性」からきている。

借手が融資を申込んできたとき、貸手としては借手である新規顧客にかんする情報を持っていない。貸手は自分のことだからよくわかっている。借手と貸手の持っている情報がおなじではない。だから 貸手は融資を申し込んだ借手の元本・金利の返済能力をしらべなければならない。そこで銀行では調査、審査業務が重要で、そのうえ融資にあたっては担保をとり、保証人をつけさせる。

元本・金利の返済能力をしらべる信用調査が安く、効率よくできれば貸手の収益性はたかまる。それがわるければ不良債権が発生する。銀行など間接金融の仲介機関の利益のもとは信用調査力である。それをおぎなうために、わが国ではメインバンク制があみだされ、戦後40年間はうまく機能してきた。

サラ金といわれる消費者金融大手がこんなに高収益をあげているのは、低金利で資金の調達コストがやすい、機械化で人件費が相対的にさがったことが大きい。

それもあるが、顧客の信用調査システムの活用で信用調査の費用が、営業収入のおそらく5%よりはかなり少なくおさまっていることを見逃せない。

それでも 99年度も顧客の破産、弁護士介入、和解などで10万件ちかい貸倒償却が発生している。この事実は業界にとっても顧客にとってもきわめて重い。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:21

悪貨と良貨の違い

「悪貨は良貨を駆逐する」ということばは、金融論に興味のないひとたちでも何度も読んだり聞いたりしているはずだ。

そのことばは「無理が通れば道理ひっこむ」のように「悪の栄え」を意味して一般的につかわれてもいるが、もともとは特定の意味がある。「貨幣金融史」ビクター・モーガン著 小竹豊治 監訳  慶應通信 92年版 などにより、それを紹介しよう。  

物々交換をはじめた人類はついに金属を貨幣にえらんだ。ジェボンズによると、それは(1)希少で(2)分割でき(3)保存がきくからだ。

貨幣の機能は(1)交換手段(2)計算単位(3)価値保存手段である。各国とも最初は鉄、銅をつかい、やがて銀、金にしぼられる。

16世紀後半、そのころの英国では銀貨が使われていた。銀貨の正しい純度は1000分の925ときめてあったが、1542年にヘンリー八世が銀貨の純銀含有量をへらしはじめた。

そのころは中央銀行がなかったから、貨幣の発行権は王様にあり、どの国でも王様は戦争や奢侈により財政がひっぱくすると、貨幣を増発していた。それはとりもなおさずインフレ要因である。

そのうちに、金、銀の生産にかぎりがあるので、王様は純度をかえずに貨幣をうすっぺらくしたり、小さくした。それならわかりやすいが、ついに品位をかえてしまったのだ。

この貨幣改鋳は英国にかぎらずどの国もやった。徳川幕府もたびたび実施した。

さて英国の場合、改鋳がはじまって10年たらずのうちに、貨幣に含まれる銀の含有量は、規定量の6分の1にへってしまっていた。

いまでも 日銀券で使いふるしたのとピン札があれば、どちらを先につかうか、答えはきまっている。日銀券とちがって貨幣の場合、品位がちがえば値打ちがちがう。

それは英国の貨幣と外国の貨幣と交換するときにわかる。

そこでグレシャムが登場する。

これまでの通説では、トーマス・グレシャムは1558年に、ときのエリザベス1世に手紙を書いて貨幣の悪鋳をやめるように進言し、そのなかにBad Money Drives Out Goodというセリフがあったことになっている。ウイリアム・ジェボンズという高名な経済学者がそれを喧伝したので、「悪貨は良貨を駆逐する」はグレシャムの法則として後世にのこっった。だが、ビクター・モーガンはそのことを書いていない。

最近ではグレシャムの手紙にそんな文面はなかったといわれている。

ニュートンのリンゴの話もそのたぐいである。

グレシャムという人は、王室の財政代理人として、英国の王室がそのころ最大の国際金融市場である、アントワープの金融業者から負っていた、借金の返済にかかわっていた。

グレシャムはいろんな策を弄して、為替相場を操作して英国王室の財政再建に貢献はできた。だから、あんなセリフを王室に言える立場ではあったのだろう。

なお リンゴで有名なアイザック・ニュートンは1719年、造幣局長官のとき金貨の品位につき勧告をした。その品位は1939年、英国が覇権を米国にあけわたし、金本位制をやめるときまでつづいていた。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:21

クリントンの名刺

わたしはクリントン大統領の名刺を持っていた。それは彼がアーカンソー州の知事であったころ、日本へきたときに名刺交換したものだ。1987年10月5日だった。

そのころ日本から米国への直接投資がふえはじめた。われわれ野村証券グループは日本の企業によびかけて、米国へ会社をつくろう、生産や販売や研究開発や金融の拠点をつくりましょうとキャンペ−ンをやっていた。

一方、米国の各州を訪問して、日本企業が進出しやすいように、環境を整備しなさい、労働力の確保、インフラの整備、税制の優遇などに、行政も具体的にうごいてくださいと説得してまわった。そのころ野村グループは目先の損得を無視して、日本の国益のために貢献しようとする気概があった。

カリフオルニア、イリノイなど大きな州が、まず対応してくれて、そこへ日本の大・中・小企業の代表者をあつめて現地へゆき、州の関係者と懇談する場を野村が設営した。

やがて米国の各州が日本へきて、説明会をひらくことが盛んになった。

その日、アーカンソー、ミシシッピー、ルイジャナの3州が合同でGOVERNERS BUSINESS MISSIONとしてやってきた。野村でも企業をあつめて説明会をアレンジした。

おわって夕方、会社のゲスト用の食堂で、米国の代表団と野村の関係者の懇談パーテイがひらかれた。正直なはなし、もっと大きな州なら野村もVERY TOPがきただろうが、そのころ米国のうち半分ぐらいの州がそんなことで来ていたので、当時は野村総合研究所の取締役にすぎない私などが、ホストの頭株だった。

3州の知事や上院議員など合計10名もいなかった。クリントン知事の名刺は裏にカタカナでビル・クリントンとしてあり、米国全体の地図の中に、アーカンソー、ミシシッピー、ルイジャナの3州を位置づけた文鎮をくれた。それはいまも私の机の上にある。

弱小の州だから一生懸命に準備して日本へきたことはよくわかった。

ややあって代表団の団長があいさつした。それはクリントンではなかった。

あいさつは、「われわれ三つの州は共通点がある、米国の州のなかではいまは小さいが、これから成長する、3人の知事はみな民主党だ、しかもみんな若い。」

ここまできたとき茶々をいれたのがいた。クリントンがやにはにでてきて、スピーカーをさして、「彼はハーバートだが俺はイエールだ」とそこで言ったのだ。

それが私には印象的だった。どうでもいいことを言う奴だとおもった。

クリントンが知事だった頃、アーカンソーのウオルマート本社を訪問したことがある。

あたりは荒涼たる湿地帯ばかりで、畑になっているところでは陸稲が多かった。

日本の直接投資はアーカンソーには行かなかったが、クリントン来日のあと、ニューヨークやカリフオルニアでシンボル物件を買いまくった。

いまは米国の各州へ日本が進出するのではなく、米国企業が日本に進出している。

それは既存の企業に対するM&Aによってである。

一方、日本から米国へ行くおカネは米国の国債や株式を買う、つまり証券投資が主流だ。

これは知事ではなく大統領としてのクリントンの業績だろうか。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:21

二つの投資の混同

対外直接投資という言葉がある。

外国に会社を新らしくつくるとき資本金を出資する、すでに会社があれば、その会社が工場を新設するとき、必要であれば増資によって資金をおくる。

このごろは現地の会社を買収することもふえている。直接投資とは、その会社に資金を貸すのではなく、新しく会社をつくるか、いままであった会社の株式を大量に取得することだ。おカネがでてゆくのは株式の取得というかたちである。

株式を取得するのは、あくまでその会社を自分が経営するためである。

それに対して、証券投資(ポートフオリオ投資)という言葉がある。

これは上場している株式を個人や機関投資家が買うことだ。投資の目的は経営に参加するためではない。自分の判断でその会社の業績がよくなり、株価があがれば売って、値上がり益をとりたい。会社の経営が気にいらなければ、文句をいうのではなく黙ってその株式を売り、ほかの株式を買う。それが証券投資だ。

直接投資と証券投資のちがいを次のように整理しよう。

(1) 経営に介入するか、しないか
(2) それに関連して、株式を長期保有するか、しないか
(3) 値上がりのほかにべつの成果を期待するかどうか。などである。

このごろ特に米国では、直接投資と証券投資の区別がはっきりしなくなってきた。

直接投資は外国で会社を新設したり、すでにある会社の工場を増設したりするのではなく、現地にある会社を買収することが多い。

たとえば、4月11日の日本経済新聞がつたえる米国の調査会社の報告では、ことし1-3月で世界のM&Aの総額は1兆1479億ドルと、前年同期の1.7倍とのことだ。

おなじ新聞の5月22日では、米国を中心に日本の企業を買収するフアンドがつくられており、おもなフアンドの資金総額が1兆4000億円に達しているという。

これも一応は直接投資である。これらのフアンドは特定の日本企業の株式を大量に買い

経営陣の入れかえとリストラをやり、それで株価があがれば売り逃げる。

証券投資と目的はおなじで、経営に介入するが、ながくはそれにコミットはしない。

M&Aによる直接投資は、証券投資と目的や株式の保有期間が似てきたものが多い。

一方、米国の機関投資家は自己の存在がおおきくなってきた。大企業の発行株数の10%ちかくを一つの機関投資家がもってしまっている。その株式を自分が売れば暴落する。そこでコーポレート・ガババンスをふりかざし、会社の役員人事や経営戦略に介入する。こうなると、保有期間のながさにおいても、保有目的についても、証券投資とのちがいがわからなくなってくる。

直接投資と証券投資の統計を作っている専門家は困っているのではないかと同情する。

個人投資家としては、こうした傾向に注意していたほうがよい。日産自動車の例のように、直接投資行動が証券投資の投資家をふりまわすし、カルパースのように証券投資とはおもえない、経営介入もでてくるのである。

株式はすこしもっているのと、たくさんもっているのと決定的なちがいがあることは、二つの投資もおなじで、最近それを再認識させられたのである。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:20

最後の貸手は誰か

昨年の期末試験問題で、いくつかの言葉の説明をもとめたものを出題した。

日本銀行の機能についてであったので「発券業務」「国庫」のほか「最後の貸し手」という言葉で書いてもらった。でてきた解答で、おもわずヒザをたたいてうれしかったのは「日栄」というのがいくつかあった。いまの学生はするどい。「大学生のあたまがどんどんわるくなった」などとは、よく観察していない人の妄言である。

1昨年の就職活動のとき、ゼミの学生のひとりが「日栄」を受験した。京都名物の「八橋」を土産に持ってきた彼は、内定をもらったが断ったと報告した。理由はその年、新卒を何百名も採るということ、1−3年で辞める人がずいぶん多いらしいということだった。当時はその会社の業績は絶好調で、株式市場では高株価の人気銘柄だった。

ちかごろの就職戦線だが、それはヒドいものである。企業が大学の教育を崩壊させている。それは稿をあらためて何回も書くつもりだが、学生も企業をよく観察していることを企業は忘れないほうがよい。企業は、いまは買手市場だから、自分勝手な採用プランを決め、学生を評価している。多くの企業はおろかにも現在の顧客であり、それでなければ将来の顧客になるかもしれない学生たちに、就職活動を通じて自分たちもきびしく評価されていることに気がついていないらしい。

99年度に「日栄」の営業の実体があきらかになった。

この業務は、始発駅は若い社員による、電話・訪問などの新規開拓の営業である。

終着駅は保証人からの過酷な債権取立てである。これが国会でも追及され、創業者は息子に社長をゆずり、最近になって取締役も退任することが報じられた。

さて、「最後の貸し手」として「日栄」と書いた私の授業の学生は、残念ながらくわしい記述はなかったが、王様は裸だとズバっと言った子供のように、その一言はある意味でただしい。「最後の貸し手」とは営業のやりかたがあかるみになってみると、そこまでして借り手を探しているのかということである。金融業は大銀行がむかしからドンと店をかまえて、借りたい人も貸したい人も店に来なさいという営業スタイルだった。だから店は信用してもらうために、豪華な建物で人が集まり易いところに在った。それを、顧客の来店を待つのでなく、外交活動で獲得するのはいままでの融資業務とはちがう。

もうひとつは、この数年間、このような企業向けの小口ローンが急成長したのは、大はもとより中小にいたるまでノンバンクでない、金融機関の貸し渋りが背景にあったにちがいない。借りた企業は個人企業にせよ、法人にせよ、ここでしか借りられなかったところが多かったのであろう。その意味で「最後の貸し手」とは言える。

こうした業務の存在を非難することははやさしい。

それでもこうした業務を必要とする企業は無数にある。金融行政と銀行は消費者金融、いわゆるサラ金大手の成長拡大をゆるしてしまった。おなじようにこれまでの金融行政と銀行の経営のありかたは、零細な限界金融をみはなし、「日栄」「商工フアンド」の成長拡大に手をこまねいてきた。

国際業務から撤退した銀行は多いのだから、国内ではこのような分野もふくめてビジネス・チャンスをよくさがしてほしい。カギは顧客情報収集、分析能力にある。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:20

指数を改訂すると

1949年の5月16日に東京証券取引所で株式売買が再開された。

{「株式会社の世紀」小林和子 日本経済新聞社 95.12}によれば、上場銘柄数は681だが、市場全体をあらわす株価指数はなかった。あくる日の新聞には日本郵船と日本発送電の2銘柄の株価が発表されただけだ。

そのころ日本は占領下であり、いわゆるドッジ・デフレがはじまりつつあった。

だから取引再開後、株価は年末にかけてどんどん下がって行った。

市場の全体像をはやく知りたいという、GHQの要請をうけて取引所は49年末に日々の株価平均を発表した。それは22業種、227銘柄の単純平均であった。

株式は配当権利落ち、増資権利落ちがあると株価がさがり、連続性がなくなるので修正しなければいけない。当時の株価指数はこうした修正をせずに、権利落ちや上場廃止があれば、そのたびに採用銘柄をいれかえることで対応してきた。

銘柄数は50年6月24日から225になった。その翌日の25日、朝鮮戦争がはじまった。

上場会社の3分の2が無配という惨状は、戦争特需によりたちまち改善されていった。

225銘柄の単純平均株価指数が、50年9月7日から新株権利落ちを修正したダウ・ジョーンズ式株価指数にきりかわった。このとき銘柄はおおきく入れ替わった。

それでも、はじめて連続性のある株価指数が毎日発表されるようになったため、ドッジ・デフレから朝鮮戦争特需による回復が株価上昇で実感された。この株価指数によると、49年5月16日の取引所再開時は176.2であり、50年7月6日の85.2を最安値としてスターリン暴落の前日、53年3月4日には 378.2まで上昇していた。

日本の取引所が再開された日、株価指数は176.2だった。その日のニューヨーク・ダウ工業株30種の株価指数は 175.8である。四捨五入すれば日米とも176だから比較するのに都合がよい。米国はこの10年の株価上昇は目覚しいが日本のダウ225が39000 をつけたとき、米国のダウ30は3000にもとどいていなかった。

この株価指数は、のちに日本経済新聞社がダウ・ジョーンズ社から知的所有権を買い取り、日経225としてよくつかわれている。

4月15日、この指数は225銘柄のうち30銘柄の入れ替えが発表された。入れ替えの実施は1週間のちの24日である。入れ替え発表前日をピークに、日経225は下がりぱなしで、1ヶ月たらずで17%も下落した。おりから首相の入院、政権交代があり、日本の景気判断と金融政策や米国の株価の行方が注目されていたから、大騒ぎになった。

ついに宮沢大蔵大臣までが日経225の下落は銘柄入れ替えのせいだとコメントもした。

たしかに発表から実施までながかったから、その間にインデックス・フアンドが日経225から外される銘柄を売り、採用される銘柄を買った結果、旧指数にくらべて新指数は20%ちかく低く表示されるものとしてスタートした。さいわいに今ではTOPIXという東証1部全銘柄の指標があるから、日経225が下ってもビジネスマインドの萎縮はない。

それにしても、この銘柄入れ替えの発表は、225銘柄をスタートさせた50年前が絶妙であったことを知っていたら、もっと他にやりようがあったのではなかろうかと、残念に思えてならない。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:19

二つの貸借対照表

870 二つの貸借対照表  2014,6,2

また過去ログを掲載する。
2000年の初め頃の掲載分だった。

{ながく証券アナリストをやってきたので、数えきれないほどの財務諸表を見てきたが、印象が強い二つの貸借対照表がある。
90年3月期の阪和興業と任天堂のものだ。

阪和興業は売上の80%が鉄鋼あるいは金属製品の鉄鋼専門商社だった。
その90年3月期の損益計算書をみると、7,719億円の売上にたいして営業利益は112億円にすぎないが、経常利益は383億円をあげている。

それは営業外収支が270億円ものプラスだからだ。
営業利益の2.5倍にちかい営業外収支の黒字をあげたのは、資金運用の成果であった。まずこの会社の貸借対照表は使用総資本が5兆6,587億円と三井、三菱など年間売上20兆円クラスの総合商社なみの規模である。
このとき、負債の部にじつに3 兆2,261億円のコマーシャル・ペーパーがあり、資産の部に3 兆 9,033億円の現金・預金がある。
当社は大量のコマーシャル・ペーパーを発行して資金を調達して、それを銀行の大口定期預金で運用した。

利鞘は、わずかであっても、運用資金を巨額にすれば大きな運用益がである。

この会社は、当時、大量の資金を調達して、うまく運用して本業の何倍もの利益をあげており、それは商社というより、金融業であった。
そんなことは長続きしないのが通例で、のちに資金運用の失敗で、この会社も深い傷をうけてしまった。}

{おなじ90年3月期の任天堂の財務諸表は、それと対照的である。
決算期を変更したので、このとき7ヶ月決算だが、売上2,100億円にたいして、営業利益は553億円と本業の収益性は抜群だ。
営業外収益は、わずかのマイナスで経常利益は552億円だった。

任天堂の貸借対照表は無借金であり、現・預金は巨額だが、運用有価証券はない。
そのころはバブルの頂点であったが、株式や土地の含みにも縁は遠かった。
この会社は本業に専心して、資金はいくらでもあるが、財務運用益には見向きもしない会社だった。

この2社の貸借対照表は対照的だった。
80年代の後半は阪和興業型の会社が多かった。
90年代になってみれば、任天堂のような経営が成功をおさめ、阪和興業のような経営は失敗におわった。

阪和興業では、巨額の赤字計上、経営者の交代があり、99年3月期の使用総資本は3,936億円に縮小している。

財務運用失敗の極端な例はヤクルト本社である。
98年3月期に1000億円の赤字を計上して、会長が辞任したが、昨年になって資金運用をもっぱら担当していた当時の副社長が、クレスベール証券を通じて、プリンストン研究所のマーチン・アームストロングの金融商品を購入し、リベートをもらっていたことがわかった。

このような不祥事からくるイメージによって、企業の資金運用そのものを否定してはならない。
80年代後半は異常であったが 90年代も行き過ぎである。
なにごとも極端はよろしくない。
営業収益をおぎなう財務運用益は企業にとって重要である。

最近は資金運用の対象も多様化し、すぐれた手法も開発されてきたから、いつまでもアツモノにこりて、手をこまねいてばかりでいるのはよろしくない。

そういえば、このごろはすぐれたCFOとして名をとどろかせている人が、あまりいなくなったような気がしてならない。}

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80年代も90年代は遠い昔になった。
2010年代も半ばに近づいた今、世の中は変わった。


山内溥さんが亡くなったあと、任天堂は、赤字決算が続いている。

阪和興業は、経営破綻の危機に瀕したが、BS拡大を実施した父の経営を、修正した。
98年から、3回にわたって減資も行った。
今では、阪和興業の80、90年代の歴史は忘れ去られている。

あの頃、私が興味を持った二社は全く対照的であったが、今になってみれば、重要な類似点があった。
任天堂の山内さんは、社長であった祖父の急死により、早稲田大学を中退して社業を継ぎ、全く別の会社に発展させた。

阪和興業の北修璽社長は、通産省を辞して、会社を救済した。

二つの会社は、創業が古く、現在もオーナー的経営である。

上場会社ぐらいになると、会社は買収されない限り、簡単に消滅するものではない。

  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:19

これも銀行の信用

5月4日 すこしのカネが必要になり、バスにのって駅前まで行った。

ここはかつて、小売の激戦地だったが、そのあとは銀行の競争もはげしい。

地元の千葉銀行はがんばっているが、第一勧銀、住友、三菱、三和、あさひ、東海、などが駅の両側にならんでいる。信託銀行も三菱、安田、中央三井など、そろっている。

これらの金融機関がなにを競争しているのか、信用であろう。わが銀行にあずけたら元本の償還および毎期の金利支払いは安全で、他社より有利だと争っているはづだ。

それより前に、貴重なおカネをあずかるところだから、金融機関はすべてにキチンとしていなければならない。だから、営業している日に店頭へ行くと、入口であいさつしてくれるオジサンがいる。店内はきれいで行員は親切だ。これなら、信用して自分の財産をあずけようという気になる。その結果がこれまでよかったか、悪かったかは、別としてもである。わが国の銀行、特に都銀大手にはすべてに規律らしいものがあった。

これからは、あえて実名をだすが、どこでもおなじことがあったとおもう。

本日、5月4日、東京三菱と住友はそれぞれの理由で,ここでは、無人のいわゆるクイックコーナーを閉鎖していた。みんなが隣で開けていた、三和へ行ったのは当然だ。

わたしもそうだった。店内に入ってびっくりした。

これでも銀行だろうか。

競馬場のスタンドのように、おびただしい枚数の小さな紙切れが床にすてられている。自分もやってみてわかったが、他行のカードはこの時間つかえない。だから、ほかが休んでいたのでここへ来た三和以外のカード所有者がおカネを引出せなかったので伝票をすてて行ったのだ。

わたしは、おせっかいながらクレーム用の電話をとった。

「これは銀行のすがたではない、支店長にしらせなさい」と。

10年ほど前、マンハッタンにすんでいた。米国のATMはすでに24時間稼動であった。だが夜はこわかった。ホームレスがなかで寝ていた。ニューヨーク・タイムスも、NO

MONEYだから深夜ATMにゆくが、ひきだしたあとで、おカネも奪われてやっぱり NO MONEYでかえる、と書いていた。そのころ、ニューヨークの夜の無人店舗は実にきたなかった。いまは日本もそうなったのだろうか。

この支店長はすぐ現場にくるべきだ。他行の顧客がお金をひきだせなくて、すてていった膨大な枚数の伝票をしみじみ見るがよい。いかにここでは自行が無力かがわかる。

この連休、日本のどこでもこのような現象がおこったはずだ。

これからは、「本日は他行のカードはあつかえません」と、入り口の前に大書するか、ATMで紙切れをださずに、最初から拒絶するプログラムにするべきである。

わが国では銀行の信用を確立するためにながい時間、粒粒辛苦してきたが、無人化、コンピューター化がそれを簡単にくずしてしまうリスクを、せめて銀行のマネージャーはわかっていてほしいものである。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:18

カネもクチも出す

株主総会の季節がちかづいてくると、経営者は緊張する。総会屋のことだけではなく、米国の機関投資家が総会の議案に反対しないかという心配である。

CaLPERS(The California Public Employeesユ Retirement System)は米国の巨大な機関投資家である。99年6月末現在、カリフオルニアの州政府、地方自治体、教員など116万人 が加盟しており、この人たちのために年金の運用をしている。

一年間に32億ドルの資金があつまってくる。

ふつうの投資信託や投資顧問の会社は顧客の資産を運用するが、ここでは会員116万名に、現在および将来の年金が支払えるように、集まってきた資金を運用する。

フアンドマネージャーが100名もいるから、世界最大級の機関投資家である。

運用は外部のアドバイザーもつかう。だから投資顧問会社や年金運用を受託する金融機関にとっては、CaLPERSはおおきな、しかもてごわい顧客である。

今年2月末現在の運用状況がホームページに公表されている。

運用総資産は1680億ドル、そのうち26%が債券,69%が株式、5%は不動産である。

日本では年金の運用は債券中心で株式はすくないが、ここではちがう。

おどろいたことに、株式のうち58億ドル、総資産の3.4%は未公開株である。

国際分散投資も活発だ。債券のうち57億ドル、株式のうち354億ドル、総資産の25%が米国以外への投資だ。日本の株式は69億ドル保有しており、重要な海外投資先である。日本でも投資顧問会社をつかっているが、野村以外の3社は外資系である。

CalPERSが有名になったのは、数年前から株式を保有してしている日本の会社の株主総会で、役員人事や配当政策その他に反対の投票をしたり、質問や提案をしたことによる。

それまでわが国では機関投資家はSilent Majorityであって、総会では白紙委任状をだすのがふつうだった。議案が気に入らねば株式を売ればよい。米国では機関投資家がおおきくなり、発行株数の10%ちかく持ってしまうと簡単には売却できない。経営がわるければ改善させ、長期に保有しつづけるのである。

カネもだすがクチもだす、これが米国の機関投資家である。

いろんな情報から推測すると、投資の決定はオーソドックスであろう。(1)半年ごとに外部の専門家もいれて、アセットアロケーションを決める。資金の出入りを予測し、資産や負債を評価して、こんごの債券・株式、 アクテイブ・パッシブ、 国内・海外などの投資比率をきめる。(2)国別の投資判断をする。ここでその国に投資のインフラがどの程度できているか、コーポレート・ガバナンスがはたらいているかも、チェックポイントとなる。(3)パッシブ60%,アクテイブ40%がメドだが、アクテイブ投資ではトップダウンもボトムアップもあり、コンピューターによるスクリーンもつかう。おおむね他の機関投資家とかわらないとおもわれる。

ちがうのはコーポレートガバナンスに関する執着である。

だれが企業をほんとうに統治しているか、付加価値をステイクホルダーに適切に配分しているかを、個々の企業をしらべ、悪いガバナンスは修正させる。

毎年すぐれたコーポレートガバナンスの会社を表彰している。

今年5月15日に栄誉をうけるのは、アップルコンピューター、テキサスインスツルメント、ゼネラルモータースの3社だ。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:18