2006年03月08日

二つの貸借対照表

870 二つの貸借対照表  2014,6,2

また過去ログを掲載する。
2000年の初め頃の掲載分だった。

{ながく証券アナリストをやってきたので、数えきれないほどの財務諸表を見てきたが、印象が強い二つの貸借対照表がある。
90年3月期の阪和興業と任天堂のものだ。

阪和興業は売上の80%が鉄鋼あるいは金属製品の鉄鋼専門商社だった。
その90年3月期の損益計算書をみると、7,719億円の売上にたいして営業利益は112億円にすぎないが、経常利益は383億円をあげている。

それは営業外収支が270億円ものプラスだからだ。
営業利益の2.5倍にちかい営業外収支の黒字をあげたのは、資金運用の成果であった。まずこの会社の貸借対照表は使用総資本が5兆6,587億円と三井、三菱など年間売上20兆円クラスの総合商社なみの規模である。
このとき、負債の部にじつに3 兆2,261億円のコマーシャル・ペーパーがあり、資産の部に3 兆 9,033億円の現金・預金がある。
当社は大量のコマーシャル・ペーパーを発行して資金を調達して、それを銀行の大口定期預金で運用した。

利鞘は、わずかであっても、運用資金を巨額にすれば大きな運用益がである。

この会社は、当時、大量の資金を調達して、うまく運用して本業の何倍もの利益をあげており、それは商社というより、金融業であった。
そんなことは長続きしないのが通例で、のちに資金運用の失敗で、この会社も深い傷をうけてしまった。}

{おなじ90年3月期の任天堂の財務諸表は、それと対照的である。
決算期を変更したので、このとき7ヶ月決算だが、売上2,100億円にたいして、営業利益は553億円と本業の収益性は抜群だ。
営業外収益は、わずかのマイナスで経常利益は552億円だった。

任天堂の貸借対照表は無借金であり、現・預金は巨額だが、運用有価証券はない。
そのころはバブルの頂点であったが、株式や土地の含みにも縁は遠かった。
この会社は本業に専心して、資金はいくらでもあるが、財務運用益には見向きもしない会社だった。

この2社の貸借対照表は対照的だった。
80年代の後半は阪和興業型の会社が多かった。
90年代になってみれば、任天堂のような経営が成功をおさめ、阪和興業のような経営は失敗におわった。

阪和興業では、巨額の赤字計上、経営者の交代があり、99年3月期の使用総資本は3,936億円に縮小している。

財務運用失敗の極端な例はヤクルト本社である。
98年3月期に1000億円の赤字を計上して、会長が辞任したが、昨年になって資金運用をもっぱら担当していた当時の副社長が、クレスベール証券を通じて、プリンストン研究所のマーチン・アームストロングの金融商品を購入し、リベートをもらっていたことがわかった。

このような不祥事からくるイメージによって、企業の資金運用そのものを否定してはならない。
80年代後半は異常であったが 90年代も行き過ぎである。
なにごとも極端はよろしくない。
営業収益をおぎなう財務運用益は企業にとって重要である。

最近は資金運用の対象も多様化し、すぐれた手法も開発されてきたから、いつまでもアツモノにこりて、手をこまねいてばかりでいるのはよろしくない。

そういえば、このごろはすぐれたCFOとして名をとどろかせている人が、あまりいなくなったような気がしてならない。}

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80年代も90年代は遠い昔になった。
2010年代も半ばに近づいた今、世の中は変わった。


山内溥さんが亡くなったあと、任天堂は、赤字決算が続いている。

阪和興業は、経営破綻の危機に瀕したが、BS拡大を実施した父の経営を、修正した。
98年から、3回にわたって減資も行った。
今では、阪和興業の80、90年代の歴史は忘れ去られている。

あの頃、私が興味を持った二社は全く対照的であったが、今になってみれば、重要な類似点があった。
任天堂の山内さんは、社長であった祖父の急死により、早稲田大学を中退して社業を継ぎ、全く別の会社に発展させた。

阪和興業の北修璽社長は、通産省を辞して、会社を救済した。

二つの会社は、創業が古く、現在もオーナー的経営である。

上場会社ぐらいになると、会社は買収されない限り、簡単に消滅するものではない。



Posted by kinnyuuronnsawa at 12:19│新・金融論茶話