2021年04月30日

1255 米大統領議会演説 2021,5,2

1255 米大統領議会演説 2021,5,2

米国では、大統領の就任演説が注目されて、ケネデイ演説のように、後世に残るものも多い。
今年の、就任演説は トランプの悪あがきや、コロナ対応で遅れていたが、漸く実施できた。


日経も、4月30日の朝刊で、要旨を1ページ全段で、日英文で報道した。
もちろん、社説でも取り上げている。

このブログでは、オバマ大統領の就任演説を、詳しく 書いている。
あのころは、もっと熱心に こういうものは 読んでいた。

今回のバイデン演説は、最初に、100days という言葉が 何回も出て来る。

今夜は政権誕生100日目の前夜
100年に一度のパンデミック
100日前、我々は行動しなければならなかった。
100日以内に1億人へのワクチン接種を約束、実際には2億2000万回分以上ができる
全世帯の85%に1400ドルの救済給付金を送付 すでに1億6000万枚の小切手を送付
100日で130万件以上の新しい雇用を生んだ

私が 最も注目した発言。

I spent a lot of time with president Xi  私は習近平主席と多くの時間を過ごした。
He is deadly earnest about becoming the most significant and consequential
nation in the world 彼は本気で世界で最も影響力のある国になろうとしている。

After 20years of American valor and sacrifice ,it is time to bring our troops home.
アフガニスタン 20年にわたって 米国は勇気と犠牲を払った。軍を帰還させる時が来た。

For more than 30years,politicians have talked about immigration reform and done nothing about it.
30年以上も 政治家たちは、移民制度改革を議論し、何もして来なかった。
If you believe we need a secure border -pass it
 国民が、メキシコなど中米諸国との間に 堅固な国境が必要なら、法案を可決したらよい。

If you believe in a pathway to citizenship -pass it 
 不法移民市民権獲得への道が必要がなら、法案を可決したらよい。
  (壁を築くとか、武力で排除するのは よくない)

 締めに、引用している。
Franklin Roosevelt フランクリン・ルーズベルト。

In America : We do our part .米国では 我々はそれぞれの役目を果たす
That's all I'm asking .That we all do our part .私がお願いしているのは それだけだ


That democracy is durable and strong . 民主主義は永続性があり強固だ
The autocrats will not win the future . America will . 専制国家に未来は無い

The future will belong to America  未来は米国にある。


就任演説は 100日後で 好かったと思う。

私は 米国を 見直して おきたい。



  

Posted by kinnyuuronnsawa at 12:23

2021年04月28日

1254  服部(之総) 史観  2021、4、27

1254   服部(之總) 史観   2021、4、27  

  「明治維新史・唯物史観的研究」服部之總 大鳳閣書房 昭和7年3月発行
  ブルジョア革命の端緒  p114    
「明治4年7月の全国的廃藩置県と共に、中央集権的絶対王政政府の権力によって、一列の
ブルジョア的変革が矢継ぎ早に遂行されて行った有様は、幕末維新史中の一大壮観を
なすものであらねばならぬ。既に廃藩そのことが、数百年来の地方分権的封建主義の
根底を切開して、藩主の権力をその経済的政治的地盤から引離し全封建的家臣団を
バラバラに解體した。
明治4年8月 散髪脱刀許可令、華士族平民婚嫁の許可、穢多非人の身分撤廃職業解放、耕地
利用制限法の撤廃、10月「切支丹宗門御禁制の事」の高札撤廃、宗門人別帳廃止、旧来由緒
による宅地税免除撤廃、11月 盲人の職名廃止、12月 華・士族・卒に対する職業の自由の
許可。翌明治5年。卒の身分の廃止、地所永代売買解禁、庄屋、名主、年寄を廃して戸長、副戸長を
置く。僧侶の肉食妻帯蓄髪差許。全国に学制発布。巡査設置。太陰暦廃、太陽暦へ。一般、徴兵令。
明治6年 僧侶の位階廃止、外国人と婚姻差許、旧藩債償還公布、地租改正条例により現物納を
金納に改正、華・士族家禄百石未満者に対し家禄奉還許可令 等。

だが、ここいらで、一先ず筆を休めよう。さしもに気を負うた明治政府の旧制処理事業も、明治6年の
仲秋、10月18日、征韓論抗争の板挟みとなった太政大臣 三条実美は、心痛のため卒倒した。
政府統一が破綻すると共に、一大障壁にぶつかったからである。」

「憐れな総理大臣を卒倒させた政府部内の征韓論争は、韓国の興り知るところではなく、寧ろ国内的
矛盾の表現であり、その背後には、廃藩置県と一般徴兵制とによって文武の旧機能を剥奪された一大
封建的残滓群が眼を血走らせて控えてゐた。


服部之總は、明治維新を、プロシア=「ドイツ」及び フランス革命と比較している、
  そのために、上記のような 明治4、5,6年の日本の制度改革を列挙している。

しかしながら、制度改革後も、政府収入の農村依存は、変ることは無かった。
それが ブルジョア革命らしきものを出現させたドイツ、フランスとの違いであることを、
詳しく 論述している。 

 「史観」という言葉が、流行った時期がある。
   唯物史観、皇国史観、が 代表的である。
   個人の名前がつくこともある。
    司馬(遼太郎) 梅原(猛) 松本(清張)史観など。 


 私は「服部(之總)」史観は、高校入学後まもなく、図書館で熱心に 読んだ。
  講座派 労農派という言葉を覚え、社会党と日本共産党の発生の違いを知った頃である。

いま 1冊だけ持っている 古書は 昭和7年3月の発行

  神田 丸岡廣文館のラベルが張ってある。
      いつ買ったかは 思い出せない。
        いま 読み始めたら やめられない。

  このブログを書くのは 中断して 初めから 読み直してみる。


   





   
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:27

2021年04月18日

1252 尾崎士郎の「青巻」2021,4,18 

1252 尾崎士郎の「青巻」   2021、4、18

山本周五郎は、大正15年の春から、昭和4年の春までは、独りで浦安にとどまっていた。
昭和5年の末に結婚し、昭和6年のはじめに、大森の馬込に引っ越して、尾崎士郎
その他の文学者と知り合うことになる。 ーー「青べか物語」新潮文庫による 

 尾崎士郎は、「偽徒然草」昭和30年 実業の日本社 で、こう書いている。

「人気論」 ストリンドベルヒが「青巻」の中で、人気の消長について一家言を吐いている。

彼は人気の原理は嫉妬であると言い、その一例として、ボルテールが、彼の軽蔑する男の
時運にめぐりあって意気揚々と、のさばってゆく姿を正視できない心の焦燥を書いているが、
これは、その男に対する羨望の意味ではなく、人気そのものに対する魅力であり、未練である。
一種の大臣病患者が政治家の中に多いのは、経綸を行いたいとか、政策を遂行したいとかいう
抱負の然らしむることよりも、むしろ、あの、もやもやと虹のごとき光彩を含んで沸き立つ
ような空気に巻き込まれたいという 一念に追い立てられるからである。

確信のない男が平然として廟堂に位置を占めたり、指導的な立場におさまったりしているのが
眼先きを去来する。指導的な立場におさまったりしているのが眼先を去来する。

悪評の中に卓然としてそびえている文学者は、悪評の外にある人気に心を託することによって
存在を保つことができるとも言えよう。
ストリンドベルヒの人気論の原理は、むしろ此処にあったように思われる。


ストリンドベルヒは、こう 書いている。
 「功名心の船奴隷」 「青書」P178-179 
ボルテールは若し誰か王侯が自分の邸の前を素通りしたときには、床に就かねばならなかった。
返事を受けない(返事が返ってこない)手紙を、彼等はその信用の墜ちた証拠と見て、
その原因を思ひわずらひ、遂に憂鬱症になってしまふ。
彼等が新聞紙上に王の到着を出迎えた知名の士の名前がならんでいて、自分たちの名前が
掻けてゐるときには、世界は真っ暗になるのだ。即ち、己れが有名であって、
最大の人物と呼ばれるのに足れりとせず、他人が名高いことが死ぬほどつらいのだ。
追いのけられはしまいか、若輩に追い抜かれはしまいかと、絶えず惧れてゐるのである。
だから彼等は、いつも見つかりはしまいかとおそれてゐる 重大犯人に似ている。
又、野心家の肖像は船奴隷に酷似している。
権勢欲、憎悪、恐怖、ーー 中にも 恐怖が顔に描かれている。



尾崎士郎も、山本周五郎の影響だろうが、「青巻」を読んでいた。


この際 「人生劇場」を また、全巻を読み始めている。
今回は、終りの巻から、遡るつもり。
 









  
Posted by kinnyuuronnsawa at 10:39

2021年04月14日

1253 悲劇の東芝 2021.4.20  

1253  悲劇の東芝  2021.4.20

岩下社長 1957-1965

土光社長 1965- 1972

石坂泰三 1957年 石川島 相談役 東芝会長 

1965年3月期 岩下社長辞任 土光社長就任 

   突然 思い出したこと、古事記 倭建の命 走水の難船  

「走水の海を渡ります時に、その渡の神、浪を興てて、御船を廻して、
え進み渡りまさざりき。ここに その后 名は弟橘比賣の命の白したまはく
「妾 御子に易りて海に入らむ。御子は遺さえし政 遂げて、覆奏まをし
たまわね」と まおして、海に入らむとする時に、菅畳八重、川畳八重、
絹畳八重を波の上に敷きて、その上に下りましき。
ここに、その暴き浪おのづから伏ぎて、御船 え進みき。

ここに その后の歌よみしたまひしく
  さねさし 相模の小野に
  燃ゆる火の 火中に立ちて
  問ひし君はも 
かれ 7日の後に その后の御櫛 海邊に依りき。
すなはち、その櫛を取りて、御陵を作りて治め置きし。」
   
  東芝の車谷暢昭社長は、4月14日 辞任し
   「天命は果たせた」との コメントを発表した。

担当アナリストとして、東芝の社長交代を想い出すのは、1965年3月期末
岩下社長が退任して、石川島播磨重工社長であった土光敏夫氏が
東芝の社長に就任した頃の事である。


折から、時、あたかも、4月13日 菅内閣は、汚染海水の海洋放水を決定した。

車谷社長が 辞任し、会長には 綱川智氏が就任した。
前会長で その前 2016年から2020年まで 社長を務めていた。

 車谷氏は、生きながら 「おとたちばな」 の役割を果たした

絶妙な、リリーフ、再建人だったのか。
 

東芝の再建劇は、40年より はるかに 複雑で
もはや、フオローは出来ない。

  「東芝の悲劇」ではない 「悲劇の東芝」である。



  
Posted by kinnyuuronnsawa at 11:38

2021年04月13日

1251 続ストロンベリ 2021.4.20 

1251 続ストロンベリ 2021.4.20

    「革命の羊」
 先生はつづけた。
「1889年に我々は仏蘭西革命を祝ったが、その祝祭には生気もなければ
秩序もなかった。1789年に掃討された すべてのものが残ってゐたのである。
教会と国家、王と廷臣、僧侶と官吏とがこれである。仏蘭西共和制は、ウイルソン
コルネリウス、クレマンソー、アルトン等のパナマ運河請負人等に支配される
最悪のものであった。憲法は賄賂や、多少 偽造のまじった手形や、年金で支持されていた。
官衛は選挙人や、男妾や、不平家を入れるために作られてゐたので、当時の仏蘭西国家は
犯罪人によって、教会は異教徒によって、統治せられていた。芸術も金のために売られ、
投票も偽造せられた。20万フラン以下では代議士になれなかった。そこで、死刑の執行や
革命が必要であった。なぜかと云えば、よしや噴火する火山の原理については語ることが
できても、大革命の原理は忘れられてゐたからである。今、百年を経て、かの大革命を
遠望すれば、単に処刑ーー大量の死刑であり、消極的結果をもつ実験ーー実験として
非常に面白いものーーのやうに思われる。私は1848年に再生した「仏蘭西革命の想念を以て
生まれた」我々が、彼の「大」革命について語り始めたとき、我々は革命の羊とよばれた
ことを想い出す。当時、私にはその意味が解からなかった。
私は、まだ自分で物を考えることが出来ずに、人に曳きずられてゐたのだから。
だが、今は分っている。即ち 一国の憲法は一般の幸福とは殆ど無関係なものである。
従って、彼我の憲法に大なる優劣の差はないということである。」

  「ストロンベーリ」は、このような小見出し約300があって、書き進められる。

 そのうち、この「革命の羊」を、ここに紹介した。
   総括にふさわしいと思うからである。
   
  山本周五郎だけでなく、多くの日本の文豪が「ストロンベーリ」を読み
 啓発されただろうと、私は想像している。

   どうして、その後、誰も 「青巻」を  出版しなかったのか、
     私には 不可解である。
尾崎士郎だけではなく、漱石も 竜之介も 読んでいたのではないかと
私は 空想している。


 


   
Posted by kinnyuuronnsawa at 15:52

2021年04月10日

1250 青巻 ストリンドベーリ 2021.4.10

1250 青巻 ストリンドベーリ 2021.4.11

   「青書」 ストリンドベーリ 宮原晃一郎 訳 日月書院 昭和18年4月 
「獣の手か人の手か」 324

弟子は言った。キップリングの驚嘆すべき「ジャングル・ブック」の中に
人間の子供があらゆる獣と馴れるが、只 猿はすべての動物のうち、最も
劣等であって、ありとあらゆる罪悪を犯すから親しまない、ということが
書いてあります。 ゲーテは「フアウスト」の第2部で 幽霊や悪鬼を顕
はそうとして、第1部の中の妖女の厨房にいる猿共のと同じ仮面や衣装を
使っています。
そして今人間(?)は、此の堕落した獣のうちから、その先祖を捜し出そうと
蝋燭や炬火を振り廻してゐます。実際 私は自分の先祖を高尚な馬か、賢くて
正しい象か、それとも勇敢で、恩誼に篤い鷲に求めたく思います。
ーーしかし類人猿は堕落した人間や、逃亡囚や、海上に難破して島に漂着した
ロビン・クルゾオ等の後裔ではあるとは言えるかも知れません。
ーー黒猩々の手は人になろうとしてゐる獣の手ではなくて、却って獣にならうとして
ゐる人間の手であります。手相家はその手相をよむことができます。
美術家はそれを手套がはめられるやうに整形することができます。
ーー若し人が猿を先祖とするならば、系統発生学の法則に従って、子供は毛がはえて
生まれてくるでせう。けれども実際は、すべすべと天使のやうに、アタマにすら
毛をもたないでうまれて来ます。私の少年時代の誘惑者たる猿王に仕えてゐたというこ
とは、私の恥であります。ほんとに、それは馬鹿らしいことでした。! 


  「青書」ストリンドベリ― 宮原晃一郎 訳 1943年4月 初版発行 日月書院
本書はストリンドベリ―の変化に富んだ60年間の巡礼の頂点を劃するものである。
彼の脚下には、或いは朝日の光に照らされ、或いは暗雲に閉ざされ、或いは沛然たる驟雨に
洗われて、多彩なる彼の過去の生涯の眺望が展開する。
然しながら詩人であり、思想家であうストリンドベリ―は晴曇等しく免れて、人生の些事
心労、艱苦を超越し、自由の人間として、山頂 静か佇んでいる。」「書後に」 訳者。

私が、古書店で、この本を入手したのは、いつ頃だろう。
記憶にないが、1991年以降であろう。
神保町の古書店で、見つけたのだろうが、それ以前は、そんなことをする余裕はなかった。

「青べか物語」で、山本周五郎は、ストリンドベリ―の「青巻」に触れている。
新潮文庫によると、1 青べかを買った話 P15
         2 貝盗人      p150
         3 留さんと女    p255 

  3回目  ここでは、やや長い。
  「巡礼だ。巡礼だ。暗い土堤を家のほうへ歩きながら、私は興奮をしずめるために
声にだして呟いた。「苦しみつつはたらけ」それは そのころ私の絶望や失意を救って
くれた唯一の本、ストリンドベリ―の「青巻」に書かれている章句の一であった。

「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である。」

 
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 15:36

2021年04月07日

1249  橋田寿賀子さん 2021.4.7、

1249 橋田寿賀子さん  2021.4.7

4月4日 高名な脚本家 橋田寿賀子さんが 亡くなられた。
    95才であった。

 小説家と脚本家は違う。誰でも小説は書けるが、誰にでもは、脚本は書けない。
読本(読み物)と 脚本は違う。
脚本は「   」に入っている。
読本は、「と 書き」ばかりである。

例を作って見よう。漱石の三四郎を ネタ本にする。

三四郎が、名古屋に一泊して乗車、東京まで廣田先生と同車する。
それ以後の 「と書きを」消して、「   」書きを 残す。

    廣田先生            三四郎 
ーーーーーーーーーーーー     その新聞 「御明きですか」

「明いてるでしょう。お読みなさい」  −−−−−−−−−


「君は高等学校の生徒ですか」「ええ」
「東京の?」「いえ、熊本です。・・・然し・・」
「はあ、そう」「あなたは何方へ」
「東京」    ーーーーーーー   
「食べませんか」彼は 駅で 窓から首を出して 水密桃を 買った。
 「5行略」    −−−−−−−−−

「どうも 好きなものには自然と手が出るものでね。5行略ーーーーー」
「実際 危険 あぶない 4行略ーーーーーーー 」
「東京は何処へ」  「実は初めてで様子が善く分らんのですが、
  差し当たり国の寄宿舎へでも行かうかと思っています」
「じゃあ熊本はもう・・・」   「今度 卒業したのです」
「すると 是から大学へ入るのですね」  「ええ」
「科は」     「1部です」
「法科ですか」  「いいえ文科です」
「はあ、そりや」−−−−−−
「どうも西洋人は美しいですね」 「はあ」
「お互いは 憐れだなあ」−−−−−

「こんな顔をして、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。
尤も 建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応の所だが、あなたは東京が
はじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。
今に見えるから御覧なさい。
あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。
所が 其富士山は天然自然に 昔からあったものなんだから、仕方がない。」−−−−
「我々が拵えたものじゃない」ーー「しかし 是からは日本も段々 発展するでしょう」

 すると かの男は、すましたもので、   「亡びるね」 −ーー と 云った。


 「熊本より東京は廣い。東京より日本は廣い。日本より頭の中が広いでしょう」
  「囚はれちゃ駄目だ。
   いくら日本の為を思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ。」

此の言葉を聞いたとき、三四郎は真実に 熊本を出た様な心持ちがした。

    「三四郎」小説の最終場面 美禰子との 最後の会話。
「何うなすって」「今 御宅まで一寸出た所です」
「さう、じゃ入らっしゃい」「此処で御目に掛かればそれで好い。先刻からあなたの
出て来るのを待っていた。」
「御這入りになれば好いのに。寒かったでせう」「寒かった」
「お風邪はもう好いの。大事になさらないと、ぶり返しますよ。まだ顔色が好くないようね」
ーー「拝借した金です。永永 有難う。返さう返さうと思って、つい遅くなった。」
「あなた御不自由じゃ無くって」「いいえ、此間から其積で国から取寄せておいたのだから
どうか取って下さい。」
「さう。じや頂いて置きましょう。」

 「ヘリオトロープ」女が静かに云った。 「結婚なさるそうですね」
  「御存じなの」 三四郎の舌が上顎へ密着した。

「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」聞き取れない位な声だった。


 「どうだ森の女は」與次郎だけが 三四郎の傍へ来た。
  「森の女という題が悪い」「じゃ、何とすれば好いんだ」

 三四郎は何とも答えなかった。

ただ口の内で 迷 stray 羊 sheep 迷羊 stray sheep と繰り返した。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
stray sheep とは、一時 信仰を失って教会を離れた人 である。
  自分で 自分を stray sheep と 言う人 が あるだろうか。

     自分で言うなら stray では あるまい。


 これだけ書いた だけでも、脚色の難しさが、判った。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 16:42

2021年04月05日

1248 これぞ大リーグ 2021.4.6

1248  これぞ大リーグ 2021.4.6

日本時間 4月5日 午後
5回裏 エンジェルスの守備、投手 大谷。 3対0のリード
ここをしのげば、勝利投手の権利、指名打者でホームランという記録。

2死満塁になった。
 それからが 劇的。
投手 大谷は ワイルドピッチ
 投球はバックネット近くまで。

捕手が、打者をアウトにしようと 一塁送球 高くそれた。
打者は 振り逃げ セーフ。この間、三塁ランナーはホームイン
 これで 3対1
これだけなら驚かない 

一塁手が バックホーム 高い暴投
 投手 大谷が カバー ジャンプすれども 及ばず

この間 2塁ランナー 1塁ランナーも  全力疾走していた。

大谷は 還ってきたランナーのスパイクを 左足に受けて 転倒
 腰から落ちて行った。

大谷とランナーが 重なって 倒れている間に、
さらに 1塁からの走者も還って 3対3の同点

初回の大谷のホームランなどで、エンジェルスは、3対0で リードしていた
大谷の 勝利投手&指名打者ホームランの記録は、消えた。


米国のプロ野球の すさまじさを観た。

ホームベースでの 一瞬の光景は、まるで アメフトである。

0対3で負けていた、攻撃側 シカゴは、一挙に 3人が駆け込んだ

守備側は、大谷を筆頭に 阻止しようと 体を張った


メジャーリーグは、球場でみたのは、3回しかないが、いずれも劇的だった。
 シンシナテイ・レッズ NYメッツ NYヤンキース
レッズのピート・ローズのホームランがスコアボードに当たり、板と一緒に落ちた、
きょう勝てば優勝のメッツが、本拠でノーヒット・ノーランを食らった。
ヤンキースのゲームは覚えていないが、僅かの料金で、ラッキーセブンに、
われわれの、応援広告が、スコアボードの上に 掲示された。
 いずれも、これぞ プロ野球だった。 
 
テレビで見たのは、数限りない、

単なる 大谷の 勝利投手&指名打者 本塁打
より、はるかにすごい、場面を 今日は見た。

 シカゴの3人のランナーの動きに感銘した。
  挽回の執念がすさまじい。

  0 対 3 から 3対3になった。
    ホームランもタイムリーヒットも無しで。

シカゴは、負けたが、5回では 勝ったも同然だった。
76才の監督が、走塁の采配を振るったかどうか、知らないが、
この チームには 今後も 期待したい。

今日のビデオを、日本の高校生に見せたい。





  
Posted by kinnyuuronnsawa at 14:10

2021年04月04日

1247 ブログのトラブル 2021.4.4 

1247 ブログのトラブル 2021,4,4


今朝 7時頃から、このブログは 不具合で 開けなくなっていた。
いま 9時過ぎ 正常化している。
 この間 PCは 消して、机から離れていた。

想像すると こうである。

過去ログを up  しようと思った。

1回分で、と思ったが、そうは いかない。
それ以前の 過去ログが 全部つながっているのだろう。
金融論茶話の ページが 開けなくなっていた。

こういうときは、機械も人間も 休む に限る。

PCを消して、別室へ逃げて、2時間後、見たら

PCも ブログも 正常化していた。


もう、過去ログの再現は やらない。

やるなら、メンドウでも、一字ずつ 打ち直して
現在での、コメントを追加する。

好い経験だった。
 下手に動くな、よろず 休む に 限る。
   機械も人間も。



  
Posted by kinnyuuronnsawa at 09:34

1246 オマハの巨人  2021.4.3

1246  オマハの巨人 2021、4,3 

 過去ログを、一気に 検索する方法が 判った。

次に、ここへ up road する こともできる。

だが その一本だけの掲載ではなく、それ以前の全部が、つながって
出てきてしまう。
だから、いまは 見合わせて、もう少し、掲載方法を 研究してみる。

わたしが、今日 up  したかった 過去ログは、

357 オマハの巨人 2007.6.22  だったが、
679  中国の脅威 2011.1.12  も、みずから 再読してみたい。

そうして、温故知新して、

 「世の行く末をしみじみと」考えてみたい。


この ブログは、自分が読むために 書いてきたものだから。

  
Posted by kinnyuuronnsawa at 07:06