2019年03月29日

1070 テレビの暴力 2019.4.1

1070 テレビの暴力  2019.4.1  

フジテレビの「開局60周年特別企画」と銘打って、長編ドラマが放映された。
3月28日の午後8時からの3時間である。
原作、松本清張の「砂の器」、これは映画も、大成功、記憶に残っている。

だから、期待して、視たが、40分ほどで、腹が立って、止めた。

(1) まず、CMの量が、ハンパじゃない。
CMの内容も、騒がしくて下品である。
感覚では、CMの長さが全体の放送時間の半分ぐらいに思える。

(2)「完全新作」だと新聞のテレビ欄には、大仰な説明があった。

同じ日の午後1時からのNHk BSプレミアム映画の「山猫」は、
「完全復元版」と、わざわざ断っていた。

同じ週の「7人の侍」「用心棒」も、断らなくても、そうなのだ。
当日、NHKは、このフジテレビの特番を野次っていたのだろうかと、さえ思う。

ともかく、原作を、これほど無視、歪曲して良いのだろうか、

あくる日、あらためて、文庫本(上、下)を通読した。
昭和48年2月、小松伸六の、巻末の解説も熟読した。
あまりにも 今回の番組とは 違い過ぎている。

著者の松本清張は、あの別世界で、怒り心頭に発しているだろう。
「ギョエテとは 俺のことかと、ゲーテ言い」 どころではない、悪質である。

平成が、まもなく終わるというのは、こういうことなのか。
人心、地に落ち、職業倫理、腐敗するのか。

違うだろう。

(3)フジテレビの、先人、古典、著作権、などに関する感覚の貧困さに
驚嘆せざるを得ない。

原作とは何か、著作権とは何か、テレビ局のモラルはあるか、ひたすら不快だった。
言論報道機関として 恥ずべきである。



私自身は、テレビには、1年半 毎週 月曜日に関わった。

もちろん、初めてで、辛い、きびしい経験だった。

12チャネルで、「経済ホットチャネル」という番組。

野村証券が、はじめてテレビで広告を行った。

放映は、午後11時からの30分間 途中のCMは、1秒も入れなかった番組。
いずれ 詳しく、こここで、書きたい

それを、誇りに思う。



















  

Posted by kinnyuuronnsawa at 15:08

2019年03月20日

1068 不器用の損得  2019.3.29  

1068 不器用の損得   2019.3.29


私は、手先が不器用である。
特に、右手がダメである。

生まれつきだと思うが、自分では、ある事の結果だとして、ゴマかしてきた。
本当は、そうではない、と思う。

実は、幼稚園の頃から、指を使うことが、ゼンブ不器用だった。
コマ回し、メンコ、カチン玉、など、子供の遊び、どれもダメだった。
足や、腕を使うことでは、相撲、駆けっこ、鉄棒、木登り、何でも得意だった。

国民学校1年生の2学期はじめ、家の中でフザケて走り回り、ガラス障子に頭と、右手を突っ込んで
転落した。右の掌を何針か縫って、三角巾で吊って、1週間休んだ後、国民学校へ通った。

右手の不器用は、そのことの影響だとして、自分をゴマかしてきた。
毎年、6月ごろ、寒くて雨の日に、右掌が、ピクピクと動くことがあった。
それは、何十年前に、終わっていた。
いまは、何もない。
怪我の後遺症は、はじめから無かったと 思う。
ただ、不器用なだけである。

小学校以来、字を書いても、絵を書いても、ダメだったし、ピンポンなど小さい球のスポーツも
全く不得手だった。その代わり、握力、腕相撲は、めっぽう強かった。 

だから、ワープロの出現は有難かった。
東芝のルポは、何台か使った。
パソコンにも、助けてもらった。指一本で 叩いているだけだが。


小学校の終わりから、中学校の初めの頃、正月のある日、両親が、並んで、今年こそ
字を書く練習をせよと、説教した。
2−3回あった。万年筆を買ってくれたりした。

だが、できなかった。私は、鉛筆や、ペンの持ち方が違うのだ。
国民学校1年生のとき 教わった持ち方が、出来なくなっていた。

余談だが、いまのこどもたちの、鉛筆、ペンの持ち方は、
昔とちがう人が多い。
握り拳の真ん中に 中指をかぶせて書いているのだ。

一つの持ち方に 強制されていた、私は、愚かであった。


不器用で、得したことがあったか、
何もかも、他人にまかせた。
個人用でない書き物は、どんな会でも集まりでも、他人に任せた。

やってくれる人が、いつも居た。

自分だけのためには、何でもメモを書いた。
取材して、メモを書いて、あとで、原稿にする。

それが 職業になった。

生涯が、これである。だから、このブログも続いてきた。

書いたものは、膨大な量が残っている。

整理されていないが、探しだして、思いだして、復元することが出来るものがある。


   











  
Posted by kinnyuuronnsawa at 16:50

2019年03月17日

1067 西郷隆盛  2019.3.20

1067 西郷隆盛  2019.3.20

湯島の聖堂での詩吟の講座は、3月で、7年度目が終わった。
3月3日に発表会があり、受講者と講師全員が独吟、連吟、合吟を披露した。
私の独吟は、西郷隆盛の「偶成」と岑参の「胡茄の歌」だった。

「偶成」は、高校の古文・漢文の先生が、教室で詩吟を披露された中の1首である。

昨年の後半以降、西郷隆盛に関する本をいくつか読んだ。
持っていた文庫本では、江藤淳、池波正太郎、平泉澄、などがあったが、新たに購入もした。
「西郷隆盛」手紙で読むその実像 川道麟太郎、2017.12 
「日本史の新常識」文藝春秋編 2018.11
「西郷隆盛と西南戦争を歩く」2018.6 正亀賢司 

このなかでは、川道本が、最もすぐれていると思った。

私の父親は、書物を買ってくれたことは、一度も無かった。
ただ、小学校4年ぐらいの頃、知り合いの蔵書家から本を借りてきてくれた。
それは、毎月2回ほど、1年か2年は続いた。

最初に持ってきてくれたのは、「源為朝」だった。
私は、為朝より、「8丁礫の紀平治」という人物が好きになった。

次いで、「西郷隆盛」と「勝海舟」、いずれも堂々たるハードカバーで、中学生向けだが
当時は何でもルビがついていたから、読むのに苦労は無かった。

西郷より、勝海舟のほうが好きになった。
西郷については、子供のとき斬り合いになって、右の肘を切られ、生涯、刀を使えなかったことが、
印象に残った。

今回、いろいろ読んでみて川道麟太郎の「手紙で読むその実像」で、西郷は、心身ともに病んでいたのだと、思わざるをえない。
独りで、朝鮮行きを主張するあたりから、おかしくなり、西南事変では、歩くことも不自由な重病人に
なっていたのだ。

なお、勝海舟については、「氷川清話」を読んでから、嫌いになった。

いま持っている2000年12月版は、ホラ話が修正されているようだが、それでも鼻につく。


西郷隆盛の好かったことは、「美田」も「自伝」も残さなかったことだ。

      
Posted by kinnyuuronnsawa at 11:45

2019年03月16日

1066 小さなおうち   2019 3.16 

1066 小さなおうち  2019.3.16

BS NHKで、平日の午後1時から、古い映画を放映している。
今週は、13日に黒沢明の「天国と地獄」 15日は山田洋次の「小さなおうち」だった。

前者は、何回も観たが、初めから終わりまで見たのは初めて、後者は全くの初見だった。

「小さなおうち」は、中島京子が、2008年から2010年にかけて文春に連載、第143回直木賞受賞、
2014年に映画化されて高く評価されたが、私は原作を読んでないし、映画も観ていなかった。

舞台は、1930年から1940年代の前半にかけての東京、主役のタキが、平井家に住み込みの女中としてはたらいていた。
1936年の正月、玩具会社の常務の平井は、高台の上に「赤い三角屋根の家」を建てて、住んでいた。
そこから物語は始まが、ここでは詳述は避ける。
先妻の子供と、若い後妻と、女中のタキとの4人暮らし。

日中戦争は始まっていたが、南京陥落があり、オリンピック招致もあり、最初は、まだ明るい時代であった。
やがて、板倉正治という青年が、デザイン部に入ってくる。
彼は、美大生の頃から、近くの下宿に居り、赤い三角屋根の家を写生していた。
戦争は拡大し、平井一家は、1945年5月の東京山手線方面の大空襲で、すべてを失う。
板倉は、丙種ながら、戦争末期に応召し、復員した。

女中タキ(倍賞千恵子)は、東北の実家に帰っており、助かって克明な、回顧日誌を残す。

山田太一は、寅さんモノと違って、笑い場でなく、泣かせ場を、たくさん創ってくれている。
昨日の午後は、無中になって観ていた。


「天国と地獄」は1963年の映画公開、三船敏郎が製靴会社の常務。
自分の子供と間違えて、運転手の子供が誘拐された。
仲代達也が刑事、犯人は新人の山崎勉。
こだま(まだ新幹線はない)から三千万円の入った二つのカバンを投下する場面、麻薬中毒者の描写、公衆電話だけでの犯人とのヤリトリ、通してみると、迫力大だ。

犯人、母一人の貧乏医学生は、下宿の窓から丘の上の豪邸、権藤常務の家を、いつも眺めていた。
犯罪の動機は、貧困であった。

   二つの映画は、ずいぶん違うが、絶品である。

なぜか、二つの映画とも 丘の上の住居が出て来る。
場面の多くの部分が、その中で展開するし、そこから見下ろせる貧しい街があった。



「緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台」

   なぜか、古い連続放送劇を思い出した。











  
Posted by kinnyuuronnsawa at 10:47