1063 名大陸上部 2019.2.1
寒さで、書きかけ、中断していたが、2月になってしまったので、続けます。
1月13日 京都での第37回全国都道府県対抗女子駅伝で、愛知県が優勝した。
3年ぶり2度目である。
日経、東京新聞など1月 14日の朝刊各紙は.笑顔でゴールする鈴木亜由子選手をup していた。
3年前同様、昨日、私はテレビを凝視していた。
鈴木亜由子選手は2秒差の2位から逆転、1分2秒離して、やわらかな笑みを浮かべてテープを切った。
鈴木亜由子選手は、愛知県豊橋の時習館高校から、名古屋大学経済学部へ進学、陸上競技部で活躍、
卒業と同時に、新設の日本郵政陸上競技部へ入り、最初から主将、リオ.オリンピックに出場、マラソン初経験は、昨年の北海道マラソンでのいきなり優勝であった。
これらの事績は、私も、よく知っている。
私も名大陸上部に居たからだ。
経済学部の卒業でもある。
名大とは名古屋大学のこと、われわれは陸上競技部とは言わずに、陸上部と言ってきた。
私が在籍していたのは、1959年3月までの4年間。
2年生になった4月が最悪だった。部員は4年生が2名、3年生が1名、われわれ新2年生が5名。
以上の8名で、新年度を迎えた。
3年生になるはずのK・Hさんが、4月から東京大学へ転校された。
彼は、東海インカレ、国立7大戦で唯一とも言ってよいポイントゲッターであった。
部の再建が急務だった。
まず、やったのは 部員集め、われわれと同期の新2年生から2名を得た。
陸上競技は初めてだったが、のちに駅伝に出場してくれた。
新1年生から5名を獲得した。一人は高校でも三段跳びで活躍していた選手だった。
3名は、卒業まで残って活躍した。
次の年は5名が残った。
駅伝は自力で オーダーを組めた。
合宿では、午後、トラック・フイールドに分かれて練習できた。
合宿所は、名古屋市の東端、八事というところにあった。
トラックは公認ではないが400mで、百は直線が2コース取れた。
陸上競技だけでなく、各種の球技でも使うので、30名ぐらいが宿泊できる賄いつきの合宿所があった。
旧制名古屋高商の所有で、隣に野球で有名な中京商業があった。
その後、グランドは売却された。
名古屋大学は、我々の在学中までは、いわゆるタコの足キャンパスであった。
その後、東山に終結されて、旧7帝大では、おそらく最大の設備である。
豊田講堂と、ノーベル賞の記念館は有名だが、陸上競技の練習場も立派である。
トラックは、われわれの頃は、赤土だったが、アンツーカになり、最近ではタータンに替わっている。
鈴木亜由子選手は、ここのアンツーカで、練習していた。
名大陸上部は、鈴木選手だけではない。
男子も強くなっている。
熱田神宮―伊勢神宮の全国駅伝は、チーム出場は逸しているが、東海学連選抜に選ばれて出場する選手が、昨年も2名いた。
男子の都道府県駅伝に、卒業後、郷里から出場する選手も、今年は現れた。
今年は、「全カレ」 全国学生陸上競技大会で、入賞する選手も現れそうである。
これも、鈴木選手の刺激でもあろう。