1050 「柴又」吟行会 2018,10,30
尾崎士郎という作家は、私が勝手に、身近に思っていた有名人である。
と言っても、話をしたこともない。
名古屋での大学生のとき、丸栄という百貨店の屋上で、尾崎士郎の講演を聞いただけだ。
その前に、「人生劇場」の最初の方は読んでいたし、映画も観ていた。
氏は 三河、吉良の生まれ育ちで、岡崎中学のあと、早稲田へ進み、驥足を展ばした。
私は 同じ西三河だが、もっと「山ガ育チ」である。
「人生劇場」では、早稲田の学校騒動が、序論のハイライトである。
大隈重信総長の夫人の銅像を学内に建てることに反対した学生と、学校当局との対立だ。
青成瓢吉ら、ストライキ賛成組が、柴又の「川甚」に集まって 気勢を上げる。
当時、早稲田から、柴又まで、どうやって行ったのだろう。
今でも、不思議である。
高砂あたりから柴又までは、交通機関はあっただろうが、早稲田からは遠い。
10月27日(土)湯島の聖堂朗詠会という詩吟の会で、今年の吟行会として、柴又から
江戸川べりに出て、吟行会を行った。
柴又の駅から、参道や帝釈天を通って川べりに行く前に、「川甚」が現れた。
本館、別館 大ビルデイングだ。
わが三河の先輩、青成瓢吉も夏村大蔵も 腰を抜かすだろう。
わが聖堂朗詠会の吟行会は、成功だった。
20名近い全員による合吟は、住田、梅原先生が用意した「勅勒の歌」「涼州詩」「峨眉山月の歌」。いずれも 辺境もので、この穏やかな、東京、千葉の境界には似合わない。
けれども、いまどき、吟行会ができる屋外の場所は少ない。
1昨年の細川庭園以来の、声を出せた吟行会が実現した。
私の詩吟は、7年度目だが、漢詩に目覚めたのは、高校入学からで、実は長い。
あと、何年続くか分からないが、今度の吟行会で、もう少し続けるかと、
思ったのは、事実である。
「雪見に、転ぶところまで」か。