2018年08月31日

1037  カサブランカ 再  2018,9,1

1037 カサブランカ 再 2018、9,1 

8月31日 「カサブランカ」を観た。
何度かめだ。

1)だから、字幕は遠くて見にくくても、英語はよく聞こえる。
  この洋画番組は、よく見ているので、このごろ英語のヒアリングは回復している。
2)イルザ役のイングリッド・バーグマン、ますます憎い。
  酒場店主、RICK を演じるハンフリー・ボガード、ますます格好良い。
3)ピアノ弾きのサム、最初に見たときは、サッチモだと思った。
  あらためて観れば、控え目で忠実で、はるかに好い。
4) カサブランカのカスパの情景、J・ギャバンの「ぺペル・モコ」
  を連想する。それよりは、淡泊で安心する。暑苦しくない。

5)パリ、マルセーユ、モロッコ、リスボン、米国。
  第2次大戦末期の難民ルート。近年の難民の惨めさを連想する。

6)何回見ても泣けるのは、ナチスの国歌に反対して、酒場で「ラ・マルセーエーズ」を
  合唱するシーンである。

7)ナチス占領下のフランスの警察署長のRENAULT(クロード・レインズ)好演。

8)RICKとRENAULTの2人は、最後はナチスに対して手を組む。

  「これからは、友達だな」と肩を組んで、霧の中へ消えて行く。

 

2006年7月8日付け、The economistの記事、RICKwagonerが会長をしているGMに
日産自動車の44%を保有している RENAULTが、提携を検討しはじめた、と報じた。

ここで 再掲できないのが残念だが、心憎い記事であった。


  このブログ 329回  06年7月12日号  カサブランカ 参照

    12年前の あの頃は、丁寧に書いていた。





  

Posted by kinnyuuronnsawa at 20:21

2018年08月30日

1036 エデンの東  2018、8,31

1036 エデンの東  2018、8,31

平日の午後1時から NHK BSで、古い洋画を放映している。
8月27日は、「エデンの東」を見た。

これは何回目かのテレビ再放送だが、初めから終わりまで熟視したのは今回が初めてだ。
最初は題名の由来も知らなかった。
ジェームス・デイーンが、この映画に出演したのは1955年だが、勿論それは見ていない。
その後も、思い出してみれば、映画館では観てはいない。

結構、むつかしい映画である。
主演のカレブ(通称キャル)は、アロンの弟である。
聖書 では双子である。
父親は、厳格なクリスチャンで、母親は、たまりかねて去って行った。

これ以上の映画のネタばれは止める。

 旧約聖書では、楽園に居たアダムとエバの間に、兄カインと弟アベルが生まれた。
カインは農耕、アベルは羊飼いになる。日本では海彦・山彦だ。

神は、カインが捧げた農作物には目をくれぬが、弟アベルの捧げた羊を喜ぶ。
嫉妬してカインはアベルを殺す。
人類初めての殺人である。
それを知った神は、怒ってカインが耕しても、実らないようにした。
カインは、楽園エデンの東へ追放された。

わが書庫には、キリスト教関連の書物も沢山あったが、いま探すと、犬養道子の
「旧約・新約聖書物語」ぐらいしか見つからない。

犬養本によれば、「天地のはじめ」、「洪水と塔」、「モーゼ5書」、と 93ページから140ページまで、克明な叙述がある。

これは、1992年4月版を買ったものだが、ロクに読んでいなかった。

昨日読みかけたが、活字が小さくて容易ではない。

とりあえず、映画の兄弟・親子と、聖書のカイン・アベルと、その両親との比較図を作っ
たが完成を見ずに止めた。今はまだ暑すぎる。

代わりに、古い大きな世界地図を開いた。
チグリス、ユウフラテイス、を確かめるためだ。

今日の聖書の晩学の続きとスタインベックのこと、涼しくなるまで温めておきたい。

映画の話に戻れば、若い時、映画の舞台である、モントレイ、サリナスあたりを
バスや、タクシーで、走ったことが何度かある。
それは、1972−3年だったが、まだ、映画の風景の面影は残っていた。
いまは、知らない。


今日の映画は、「カサブランカ」である。
これは見逃せない。




  
Posted by kinnyuuronnsawa at 11:48

2018年08月26日

1035 松井の後の打者 2018.8.26

1035 松井の後の打者 2018、8.26

高校野球は終わった。
第100回記念で、今年は、とりわけ大騒ぎであった。
私も 準決勝はテレビを見たが、あとは感動はない。

今日ネットで、古いことを読んだ。

第3回 全国中等学校野球大会。
参加118校 出場12校 優勝した愛知1中は

第1回戦で敗退、敗者復活の抽選で復活。
以後、毎試合、1点差で勝ちあがり、優勝戦は1対0で負けていた。
最終回の裏も二死まで追い込まれたが、雨で中断。
翌日、再試合で1回から、やり直し延長14回、1対0で勝って優勝。

愛知1中は、当時愛知県立第一中学、戦後は、旭丘高校になった。
東京なら日比谷高校である。

戦後、復活は1947年、この辺からラジオで聞いていた。 

1947年の優勝は小倉中学、翌1948年は平古場投手を擁する浪速商業が優勝。
浪商は、大阪体育大学の付属だとは、ずっと後になって知った。

話は変わるが、昨夜テレビで、「松井選手の26年」を放映していた。
星陵高校の野球部、松井秀樹選手の同期生,1年後輩など20名ほどが西ノ宮に集まった。

26年前、春のセンバツで、明徳義塾との試合で、松井秀樹選手が、5打席連続で敬遠され、試合に負けたときの同期生たちである。
高校卒業後、ドラフト一位指名で巨人に入団、大リーグで活躍して、今もヤンキースの経営者の一人としてNYに居る松井秀樹も、彼らとは、26年ぶりの再会だという。

当時、5番打者として、敬遠された松井のあとに、打席に立ち、5度とも凡退した選手も、
26年ぶりで再会した。
あの敗戦は、5度とも凡退した自分の責任だと思っていた。

美しい話である。おもわず涙が出た。

昨日は、日本ハムの新人、清岡選手が、8月21日に一軍に昇格してから、早くも3本目のホームランを打った。エンゼルスの大谷選手は、今日、14号を打った。
そのたびに、松井以来とか、以上というコメントが付く。

偉大な選手は、次から次に現れるが、26年前、松井のあとに、5度凡退した
この選手のよう人は、もう現れないと思う。




  
Posted by kinnyuuronnsawa at 11:12

2018年08月19日

1034 地球と月 2018.8.21 

1034 地球と月  2018,8,21 

19日の午後 NHKで凄い番組をやっていた。

「火星の素顔、謎に迫る」2004年に放送されたもの。

NASAが探査衛星を飛ばして、火星にロボットを着陸させた。
膨大な量の画像を得た。
水は無く、生物も発見されなかったが、砂や石、丸い石などが多くあり
採集して分析した。
かつて水があった形跡を発見した。
その探査は、近年までも続けられて来た。

今後、火星以外の天体の探査もできるだろう。

地球以外での、生物の発見の可能性はある。

凄いことである。

核兵器を完全に放棄して、その費用を投入すれば、相当なことができるだろう。

さりとて、それで分かった事実が、人類に幸せをもたらすか、どうかは解からない。
新大陸の発見と同じように、新たな利権争いを引き起こすだろうから。

夜は涼しかった。
屋上から見れば、もう秋の空である。

火星も月も、南の空の両側に見える。

今夜は上空に風はないから、今は両方とも静止している。

月は、地球の影によって、三カ月のように曲面に見えるのはわかる。
どうして、片方が半月のように直線になるのか、わからない。

そういえば、地球は太陽の惑星であり、月は地球の衛星である。
太陽、地球、月、人間にたとえれば、信長、秀吉、清正の関係である。

地球の衛星は一つしかない。
それが一カ月の間に近付いたり離れたりしている。

月を限りなく、いとおしいと思った。
こんなことは、初めてである。








  
Posted by kinnyuuronnsawa at 13:32

2018年08月18日

1033 視るということ 2018、8、18

1033 視るということ   2018、8、18

8月17日、目が覚めた。時計を見ると4時半である。
普段は6時半頃だが、暑いので早く覚める。まだ薄暗い。
ガラス戸を開けた。風を入れる。私の部屋は2階である。

1000mほど先に高層マンションがあり、その軒に街灯が横に連なっている。
それが点滅しているように見える。なぜだろう。
この部屋の50mほど先に、電線が張ってある。
それが、風により上下に僅かに揺れており、街灯を見え隠れさせているのだ。
このことが解かるのに数分を要した。82歳になって初めて見た現象だ。

そういえば、2−3日前、空を見上げていたら、月が東の方へ走っているように見えた。
それは月を隠している薄い雲が、逆の方へ走っていたのだ。
停まっているものが、動いているように見える。
新幹線に乗っていれば、近くの田畑や人家が、後ろの方へ飛んで行く、と同じだ。

「私が歩く、お月さんが歩く」 国民学校の教科書で読んでいた。
人間は月からも、太陽からも隠れることは出来ない。
大きな遮蔽物が無ければである。

赤バットの鉄人、川上選手は、「ボールが停まって」見えたそうだ。
これは動態視力というのかな。


視るということ、見えるというものは、何なのか。
虚像と実像、こんなことを考えていたら、すっかり明るくなってしまった。

8月17日、京都五山の送り火の実況中継を見た。
なにより、実物は、かくも巨大で精密なものか、である。

初めて知ったことは多い。




  
Posted by kinnyuuronnsawa at 11:02

2018年08月07日

1032 「昭和書紀」を残せ 2018、8、8

1032 「昭和書紀」を残せ  2018、8、8

昨日、8月7日 原爆記念日の翌日、
NHKBS.で「日本人による.東京裁判」を見た。
昨年ものの再放送である。

毎年、8月には、原爆もの、終戦もの、戦後もの、テレビでは、賑やかである。
NHKの多くは、再、毎年放送で、新しいものは少ない。

今日も、木戸幸一の日記にもとずく、「終戦もの」の再放送を見てしまった。

それで思ったが、いい加減に、日本は、「昭和正史」を作って 残すべきだ。

これは、年号が代わる前に、なすべきことだ。


官が、やる気はないようだ。

ならば、民から、なぜ 出てこないのか。

誰か、どこかが、発案して、音頭を取って、資金を集めて、

書く人、話す人を集めて、本当の昭和史を、書いてくれないだろうか。

日本書記は、体制側が、自分の正当性を語ったものだが、それでも、

後の世に、判断をゆだる事柄が記録されている。


今回、昭和に関しては、いろいろ、書いたものはあるが、私には、いまだに
納得できないことばかりである。


とりわけ、疑問は、「昭和天皇実録」

最初に、2冊 買って読んだが、失望した。

この辺で、最後の機会だが、

どこか、誰かが、「昭和.書記」を.書いて残さないだろうか。


民間がやらねば、また、ここでも、官がやり、

古事記、日本書記 と同じである。


ここでは、「日本外史」を、やる 新富豪を、期待する。

  それ以上に、大学、大学教授の活動を切望している。















  
Posted by kinnyuuronnsawa at 21:01

2018年08月02日

1031 壬申の乱  2018、8、3 

1031 壬申の乱  2018、8,3 

天智2年8月の白村江の敗戦、百済の滅亡のあと、中大兄皇子の政権は、唐・新羅軍が襲来するとの不安に怯えていた。
日本書記によると、天智4年(664年)対馬・壱岐・筑紫などに防人と、のろし台を置き、
筑紫に大堤を築いて水を蓄えた。水城と名づけた。
我が国 はじめての国難である。

斉明7年7月 母 斉明・皇極天皇がなくなった後、皇太子のまま政務をとっていた中大兄皇子は、天智天皇となり、弟 大海人皇子を皇太子として大化の改新を実行した。

天智10年、重病の床で、大海人皇子に、「後事を託す」が、大海人皇子は辞退して、出家するとして吉野へ入る。このあたりは、日本書記にも 詳しい記述がある。

天智の息子、大友皇子と大海人皇子との抗争、壬申の乱が始まる。

大海人皇子は、新羅派、東軍。大友皇子は 滅びた百済派は、西軍である。

9年前の白村江への 動員
   第1陣 5千余人、第2陣 2万千人 第3陣 1万余人
 これは、九州、四国、中国などからが多いはずだ。
 後の秀吉が起した文禄の役16万人、慶長の役 14万人に比べても大きい。

敗戦後の防衛に使われた、防人、土木工事にも、西日本は使われた。

大友皇子が、九州など、西日本に兵集めに行ったのに対し、大海人皇子は、吉野を出て
美濃、尾張など 近江の東で徴兵したのは賢明であった。
そこには、豪族も農民も無傷で残っていた。

 決着がついたのは、岐阜県不破、関ケ原から遠くない。

 
 (大海人皇子は、中大兄皇子の同母弟とされているが、疑問である。
 結局、前者は623年、後者は626生まれと推定される。
 前者は、外国生まれ、外国育ちであって、母方に関しても中大兄とは兄弟関係になかったと思われるが、母が誰であるか証明できるものは何一つない)


「白村江の戦いと壬申の乱」小林恵子 現代思潮社1987初版 1991第4刷
これを 読んだときの衝撃を忘れることは出来ない。

以上は前回紹介した「「白村江史上最大の敗戦」に拠って書く。






   
  


  
Posted by kinnyuuronnsawa at 20:01