2017年11月12日

989 赤とんぼの歌   2017.11・18

989  「赤とんぼ」 の歌 2017.11.18

1) 三木露風 作詞 山田耕筰 作曲 「赤とんぼ」  
          大正10年8月 樫の実  昭和2年1月作曲

    夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのはいつの日か

    山の畑の桑の実を 小籠に摘んだはまぼろしか

    十五で姐やは嫁にゆき お里のたよりも絶えはてた

    夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよ竿の先


この、作曲に対して、高名の文士が、盗作ではないかと書いたので、騒ぎになった。
それは、とっくの昔、収まったようだ。


最近、私は、この歌詞が、野口雨情の「十五夜 お月さん」に似ていることに気が付いた。


野口雨情 作詞 本居長世 作曲  「十五夜お月さん」 
       大正9年9月 金の船

   十五夜お月さん ご機嫌さん
   婆やは お暇 とりました

    十五夜お月さん 妹は
    田舎に貰られてゆきました

     十五夜お月さん 母さんに
     も一度 わたしは逢いたいな


この 二つの詩とも、ともに 母さんは 近くに居ない。

母さんの代わりであった、「ねえや」も 「婆や」も、いなくなった。


いるのは、十五夜 お月さん と 赤とんぼ、それに語りかけている。 


  もちろん、どちらかの詩がが、どちらかの詩に、影響を受けたとは、私は思っていない。
   詩想 が、似ていると 思っただけである。




2) 穏やかな童謡 「赤とんぼ」は、1957年6月の立川基地拡張のための、砂川での強制測量反対運動で、全学連などの学生が、振り下ろされる警棒の恐怖に泣きながら歌った。

  それに先立って、1955年、今井正、岡田英次、岸恵子、団伊久磨などによる、「ここに泉あり」で、
「赤とんぼ」は合唱された。



3) 私は、三木露風が生まれた、兵庫県竜野の里を訪ねたことがある。
1980年頃の秋だったと思う。

三木露風作詞 斎藤佳三 作曲 「ふるさとの」 大正5年3月 藤原義江の歌で紹介

     ふるさとの小野の木立に 笛の音のうるむ月夜や 
    
     小女子はあつき心に そをば聞き涙ながしき

     十年経ぬおなじこころに 君泣くや母となりても  


  そのころでも、龍野は、「ふるさとの」を想わせる、里山のたたずまいが残っていた。。



4) 北山修 作詞 加藤和彦 作曲 

  「あの素晴らしい愛をもう一度」

2番  赤とんぼの歌を歌った空は 何もかわっていないけれど
     あの時 ずっと夕焼けを 追いかけて行った −−−−


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Posted by kinnyuuronnsawa at 20:21

2017年11月04日

988 未だ鞍上に至らず 2017.11.4

988 未だ鞍上に至らず  2017.11.4

このpcが届いたのは、10月11日だが、3週半が過ぎるというのに、いまだ使えていない。

おりから、我が家のMainTVの寿命が尽きたので、今日取り換えたところだ。
30分もかからず、設置が終わり、古いものは引き取ってもらった。

TVは、二人の個室に一台ずつあったが、食卓のある部屋にも無いと不便だ。
切り替えまでの2週間ほど、夕食は呑みながら、詩吟のCDを聴いていた。

今日、感じているが、TVの買い替えと新機の操作性は、pcとは、比べ様がないほど、簡単だ。
だから、世界中にこれだけ普及したのだろうが、それに比べて、pcの供給者は、怠惰で傲慢であると思う。
ケイタイ、スマホなどに、顧客を取られているのは当然だ。
まもなく、個人客が去って、パソコンという言葉が死語になると思う。


私は、自宅に.pcを買ったのは、1990年代の初め、それまで東芝のルポを何台目か愛用しており、
最大の用途はワープロだった。
その後、パソコン通信が始まり、ゲームで囲碁やブリッジもやったが、すぐに飽きた。


名馬か駄馬か知らないが、この新馬は、今のところ、私にとって乗りこなせていない。

まだ、むやにに、キイを乱打しているが、元来、pcの操作は、そうやって覚えるものかも知れない。

                                         

  
Posted by kinnyuuronnsawa at 14:38

2017年11月03日

987  93年生の残党  2017.11.3

987 93年生の残党  2017.11.3

野田よしひこ氏が、10月23日付けの自己の「瓦版1105号」に書いている。
題して「オオサンショウウオの決意」、以下に紹介する。

「安部晋三総理、小池百合子都知事、前原誠司民進党代表、枝野幸男立憲民主党代表、4氏とも
1993年(平成5年)衆院初当選の私(野田)と同級生。
阿倍総理以外は、細川氏が率いる日本新党のメンバーだった。
今回、私(野田)だけが無所属になった。
この決断を細川元首相は「ドジョウは、田んぼから岩陰のオオサンショウウオに、位が上がった」と
評価してくれた。

野田氏は、私が45年住んでいる千葉県船橋市を選挙区にしている。
93年の初当選の前は船橋市議会、千葉県議員を経ている。
国会議員になる前は、毎週月曜日の朝、JR津田沼で演説していた。
いまの瓦版の何代か前のものは、現在県会議員の弟などが配っていた。

93年7月、8日の総選挙で宮沢首相の自民党は、223議席しか取れず、細川内閣が出現、94年4月、羽田内閣
94年6月 村山内閣、96年1月、橋本内閣に代わる。

1993年から現在2017年まで、長い年月だった。

政治家の顔ぶれは、与党も野党も代わっていない。
あと、何回、総選挙をやれば変わるのか。

93年からは、見てきたが、もう残された年月は少ない。





  
Posted by kinnyuuronnsawa at 11:04