2017年04月24日

974 折々のうた

974 折々のうた 2017.4.24 

朝日新聞を読んでいたので、「折々のうた」は、1979年(私は既に43歳)1月25日の初出から、毎朝、読んでいた。

大岡信という人は知らなかったが、最初の1カ月の選歌に魅了された。
それらの中には、私が中学、高校の頃から知っていた絶唱の数々も選ばれていた。
以下の如く。

石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出ずる春になりにけるかも
(1)志貴皇子     数字は掲載順

春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ乙女 
(4)大伴家持 

気霽れては風 新柳の髪を梳る
氷消えては波 旧苔の髭を洗う
(9)都良香 

春の岬旅のをわりの鴎どり
浮きつつ遠くなりにけるかも
(16)三好達治 


幾山河越え去りゆかば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく
(17)若山牧水

初出の一カ月、このように憶えていたものの他に、作者名は
知っていても、私が初めて出会ったもの、それどころか、初
めて知った、歌、俳、詩人の多さに驚いた。

なお、大岡信は、最初の一カ月に、4回、「読み人知らず」
を取りあげていた。

それからは 毎朝、「天声人語」より先に読んだ。

全部の連載が終わったあと、1980年3月から岩波新書で7
冊、「折々の人」が順次に発行された。それは愛蔵している。

その後、古書店で1978年発行の「日本詩歌紀行」も入手で
きた。墨書で大岡信のサイン入りである。
1977年1月から78年5月まで「新潮」に連載されたものだ。
これを読んで、「折々の歌」の背景の深さに驚嘆した。

毎日、ひとつだけ読んでいると印象が深くは残らないが、ま
とめて読むと違う。

「なお、著者のサイン入りは、「和漢の散歩」長沼弘毅(昭
和24年 大蔵次官を退官)も持っている。
分野は違うが、「幾山河」も瀬島龍三のサイン入りがある」

著書にサインするのは考えものである。
だが、「日本詩歌紀行」は別物である。

まだ何度も読み返すつもりである。
  

Posted by kinnyuuronnsawa at 09:48

2017年04月13日

973 最後の東芝

973 最後の東芝 2017.4.12

昨4月11日、東芝は2016年4-12月期の連結決算を開示。発表は2度延期されていた上に、この決算も監査意見がないという異例の決算であった。

4-12月期の連結売上高は、前年同期比4%減の3兆8468億円、最終損益は5325億円の赤字(前年同期は4794億円の赤字)と、日経は1面トップで報じている。

昨日の発表は、何時だったか知らない。

それから、今朝の8時あたりまで、こころある証券アナリストは、眠っていないだろう。
なにをしていたか、東芝の今後の予想ではない。
発表された決算数字の評価である。
5325億円の赤字と発表されたが、「本当の損益は、いくらなのか、」について、意見表明することであったのだろう。

これこそ、私達が、昔やっていた、「発表された前期の実質利益」の推定である。
こんなことを、また証券アナリストがやらなければならない、
ことに、感慨無量である。

何も変わっていない、
何も進歩していない。

なお、最近、探し求めて居た、若い頃の拙稿が見つかって、届けて頂いた。


[「財界観測。1964年2月号。] このことに 畏敬する。

(ここで語るべきは、NRI情報管理室 および、その創始者の阿部至君である。)


なお、本稿のタイトルは、「最後の東芝」で、あって「東芝の最後」ではない。
愚老が、東芝について書くのは、これが最後となろう。

「今後の東芝」については、
若い人が今日からも真剣に考えていてくれるのだろう。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 19:12

2017年04月02日

972 七帝柔道記 

972  七帝柔道記 2017.4.1

すごい本を読んだ。
「七帝柔道記」増田俊也 角川文庫 2017.2.25 
初出は2008年1月―2010年10月号に「月刊秘伝」で連載、2013年2月に角川書店で単行本化された。
著者は愛知県立旭丘高校(旧制愛知一中)を卒業後、二浪して1986年に北大に入り、柔道部で4年目のあと、引退、大学も中退した。

ここに書かれているのは、彼らの青春である。
16章の目次で進んでいるが、人によっては,驚嘆すべき練習内容や、飲食、生活態度に嫌悪を覚えるかもしれない。
たとえば、入部した日、先輩が連れて行ってくれる。
まず「栗ぜんざい」を食べ、ついで「ジャンボ寿司」、握りの1個が「おにぎり」ぐらいの大きさ。
酒は、最初の頃に死ぬほど呑まされるが、その後は筋肉に悪いので、日頃は自粛,毎日の練習のあと、腕立て300回は必須,長い寮歌をいくつか暗唱で歌わされる。
試合や練習中、「落ちる・落とす」は頻繁、応援では、「折れ」と、声が飛ぶ。
ここに書かれているのは、増田俊也氏が体験した
(1)柔道(2)北海道(3)無軌道(3)至道 である。

この下敷きに、井上靖がある。「私の自己形成史」
「私たちが真面目に考えていたことは、練習量が総てを決定するということであった。これは他の専門学校に較べて非力な體を持つ高校生が、試合に勝つ唯一の手段であった。
私達は立ち技より寝技を重視した。立ち技となると、何と言っても體格が物を言ったし、天分も強く作用した。」
「明けても暮れても、私達は道場で組み合っていた。
その頃、私たちはお互いに言いあったものである。
学問をやりに来たと思うな、われわれは柔道をやりに来たのである。」
「七帝柔道記」は、靖の「北の海」を敷いている。

1986年当時、北大は七帝戦で毎年七位、ビリからの脱出に挑むのだが、果たせなかった物語である。

七帝戦は旧帝国大学(北、東北、東、名、京、阪、九)の各運動部が毎年行っている。
私が居た1930年度からの4年間は、名大陸上部は、毎年7位だったから、ここに書かれている北大柔道部の気持ちは判る。だから、練習は増やしたし、部員の増加に努めた。
私が、奮闘したのは、マイル(1600m)リレーの一走で、当時としては珍しく、バトンタッチの練習もした。
今年の七帝戦、わが名大は、主催校だが、久しぶりに、男子、そして女子も優勝が狙えそうである。
マイルは、昨年の東京大会でも、圧勝したし、そのメンバーも何人か残っているので、安心して応援に行けると、今から楽しみにしている。



  
Posted by kinnyuuronnsawa at 14:59

2017年04月01日

972  七帝柔道記 2017.4.1


 すごい本を読んだ。
「七帝柔道記」増田俊也 角川文庫 2017.2,25

初出は2008年1月ー2010年10月号に「月刊秘伝」で連載、2013年2月に角川書店で単行本化された。
著者は愛知県立旭丘高校(旧制愛知一中)を卒業後、二浪して1986年、北大に入り、柔道部で4年目のあと、引退、大学も中退した。

      −−−−−− これがUPできたら、後は 明日 継続。


  
Posted by kinnyuuronnsawa at 19:22

972  再スタート



    新方式で、投稿する。


         4月1日から、再スタート。  
Posted by kinnyuuronnsawa at 16:52