900 1000回のコラム 2015.1.21
昨日の日経文化欄に、「芭蕉1002句」という囲み記事があった。
そんなに少なかったのか、と驚いて、岩波文庫の「芭蕉俳句集」を見たら、やはり(1句目)から始まり(982句目)で終わっている。
別に、存疑の部に530句、偽書簡中の句に26句、誤伝の部に208句が掲載されている。
「芭蕉俳句集」の校注者、中村俊定によると、「俳諧一葉集」の所収句数が、1083という類書中、稀に見る数である、と記述している。
なるほど、芭蕉ともなると、発句の真贋鑑定も容易ではないことが判ったが、生涯1000句が、妥当なところだ。
井原西鶴は、住吉神社で、1昼夜に2万3500句を詠み、2万翁と自称したと伝えられているが、それは、もはや俳句ではない。
ちなみに、「蕪村俳句集」岩波文庫 尾形仂 には、「今日、蕪村の句として知られる総数は、約2800句」と、ある。
それに比べても、俳聖 芭蕉は寡作であった。
生涯1000句ぐらい、素人でも詠む人は、いくらでも居るだろう。
多けりゃ好いというものではない。
このブログは、1998年元日に書き始めてから、今日で900回になる。
900回分となると、A-4に印刷して平済みにしても、相当の厚さになるが、すべて、このブログのページに過去ログは入っている。
最初の100回分は、2007年6月に、多摩大学大学院同窓会から新書版で発行して頂いた。(株)ユウトハンズの城野徹社長による、デザイン、編集、印刷、など、多大な御尽力の結果である。
むかし、朝日新聞 夕刊の「経済気象台」に執筆していた。
1982年4月13日から1987年4月9日まで、100回である。
それを加えると、私の書いたコラムやブログは1000回になる。
芭蕉は、同じ句を推敲して、たとえば 雪見の句は、3か所に発表している。
これは、1句として数えられる。
いざさらば雪見にころぶ所迄 花摘
いざ行(ユカ)む雪見にころぶ所まで 笈の小文
いざ出(イデ)む雪見にころぶ所まで 真蹟詠草
今の私には 2句目が好い