844 上原投手の涙 2013.9.21
さきほど、正午に終わったNHKのテレビ放送で、ボストン・レッドソックスの地区優勝の実況中継を見た。
上原投手が、8回に田沢投手が打たれた後を引き継ぎ、9回は打者3人で打ち取った。
最後の打者も勿論、三振で、これでレッドソックスの優勝が決まった。
例によって、盛大なシャンペン騒ぎがあり、ようやく田沢、上原投手への日本人記者によるインタビューに移った。
上原投手は、汗かシャンペンか、しきりに顔をぬぐっていたが、私には、その多くは、涙のように見えた。
当然だ。
上原よ、思い切り泣くがよい、今、そんな気持ちで書いている。
私は、1999年10月5日のナイターをテレビで見ていた。
巨人の上原投手は、マウンドで涙を見せた。
松井とホームラン王を争っていたペタジーニ選手を、ベンチの指示でストレートの四球で歩かせたときだ。
「この涙はよかった。くやし涙も、ときには美しい。」
99.10.6 プロ野球選手の涙 10.12 My FairPlay観 として、私は、このブログに書いている。
さらに、そこから引用する。
「1999年10月の神宮の夜が寒かったのは秋風のせいではない。
覚えていてほしい。」10月6日の朝日新聞の朝刊には、スポーツ記事らしくない気負いがあった。日経も、悔しそうな上原投手の表情を写して「もともと、メジャー志向の上原が、旧習を引きずる日本野球に愛想をつかして出ていったら、一体だれが責任を取るのだろう」と余計な心配までしていた。
上原投手は、今日までで、4勝1敗 20セーブ、9月17日に初めて、1安打1失点を許して、連続打者アウトは37人、連続無失点は27で止まったが、快記録だ。
日本のホームラン競争は、バレンテイーンが、何人かの投手に、切歯扼腕させた王貞治の記録を、簡単に破った。
あの上原の涙から、14年ぶりである。
14年もかかっていることに驚くが、それ以上に上原投手が、14年経っても、MLBの頂点に登りつめたことに、ひたすら敬服する。
日本の若者たちよ、涙をぬぐって、外へ出て行き給へ。