2011年12月31日

760 国債発行額 

760  国債発行額   2011.12.31  

政府は、12月24日の閣議で、平成24年度予算の政府原案を決定。
そのなかで、国債に関する重要事項を記述する。

財務省資料による。
1)平成24年度、国債発行予定額  
区分    22年度当初  23年度4次補正後  24年度当初  
新規財源債   44.3兆円   44.3兆円    44.2兆円  
復興債      −−    11.6兆円     2.7兆円  
財投債     14.0兆円   16.5兆円    15.0兆円   
借換債    111.3兆円   109.2兆円    112.3兆円   
国債発行総額 169.6兆円   181.5兆円    174.2兆円   

24年度、国債は174.2兆円発行の予定。
イ)新規国債は、44.2兆円である。
よく国債発行額を44兆円に抑える、と云う。
これは新規国債の分で、この額は毎年の国債発行残高に積み上がって行く。
ロ)借換債が重要である。
過去に発行した国債の満期が来れば、現金を払って償還しなければならないが、日本政府には償還用の現金がない。
そこで、また新たに国債を発行する。
これを借換債と云う。
24年度、新規国債44.2兆円に対して、借換債は112.3円と巨額であり、平成15年度の74.9兆円と比べても、毎年、急増している。
いわば、日本政府は借金の証文を毎年書き変えて、ヤリクリしているのである。
ハ)満期が来た国債の全額が借換債になるわけではない。一定の比率で現金での償還もなされている。
ニ)復興債の発行は重要である。
建設国債でも赤字国債でもない、新商品が生まれたのだ。

2)消化方式別発行額   
区分  23年度、当初   23年度、4次補正後 24年度、当初 
市中発行分  155.3兆円  166.2兆円    154,5兆円  
個人向け販売  2.5兆円   3.5兆円     3.0兆円  
日銀乗換    11.8兆円  11.8兆円    16.7兆円 
  
イ)個人向け販売は少ない。
ロ)「日銀乗換」に注目したい。
日本銀行は、23年9月末で63.6兆円の国債を保有している。
このうち24年度中に満期を迎える分がある。
これを、「償還期限到来国債」と云う。
このうち16.7兆円については、政府が日銀に現金を渡すのではなく、割引短期国債を渡す。
日銀は時機を見て、それを売却して現金を得る。
これは、日銀による、国債の直接引き受けではないか、との批判があるが、日銀は毎年、政策委員会で審議して決定している。
今回の決定の発表は、12月26日に行われた。
予算原案の発表(12月24日)の後である。

3)国債の所有者別内訳  平成23年9月末  億円  
銀行等    3,266,261  
生損保等   1,552,969  
公的年金    703,370  
日本銀行    636,166  
海外      474,040   
家計      294,916   
年金基金    290,309   
一般政府     20,311  
財政融資資金    8,817  
その他      234,759  
       財投債を含む  資金循環統計 による。

  銀行は43,7%も保有しているが、その資金は家計が銀行に託した預金である。
海外の保有が、今のところ少ない。

1月になると、財務省は、また恐ろしい数字を発表するので、
今日は、この辺でやめておきます。
このところ、このブログは花鳥風月が多かったが、金融論茶話のタイトルは忘れていません。

よい、お年を。
  

Posted by kinnyuuronnsawa at 15:39

2011年12月25日

759 二人の詩人の食事  

759 二人の詩人の食事  2011.12.25    

ここに、二人の詩人が、一家の食事について書いた詩を紹介する。
長い詩なので、残念ながら一部を割愛する。

  明日  八木重吉  昭和17年7月  八木重吉詩集   山雅房   
まづ明日も眼を醒まさう 
誰れがさきにめをさましても 
ほかの者を皆起こすのだ 
眼がハッキリとさめて気持もたしかになったら 
いままで寝ていたところはとり亂してゐるから  
この三疂の間へ親子四人あつまらう 
富子お前は陽二を抱いてそこにおすわり 
桃ちゃんは私のお膝におててをついて 
いつものやうにお顔をつつぷすがいいよ 
そこで私は聖書をとり 
馬太傳六章の主の祈りをよみますから 
みんないっしょに祈るこころになろう 
この朝のつとめを  
どうぞしてたのしい真剣なつとめとして續かせたい 
さあお前は朝飯のしたくにおとりかかり  
私は二人を子守しているから 
お互いに心を打ち込んでその務を果そう 
もう出来たのか 
ではご飯にしよう  
桃子はアブちゃんをかけてそこへおすわり 
陽ちゃんは母ちゃんのそばへすわって  
皆おいちいおいちいって食べようね  
7時半ごろになると 
私は勤めに出かけねばならない  

   以下68行 略  

  或年の夏  与謝野晶子  初出  明治44年12月  
米の値の例なくも昂りければ
わが貧しき10人の家族は麦をくらふ。  
わが子らは麦を嫌ひて 
「お米の御飯を」と叫べり。 

麦を粟に、また小豆に改むれど 
猶わが子らは「お米の御飯を」と叫べり。
わが子らを何と叱らん 
わかき母もこころには米を好めば。 

以下 5行 略  

  冷たい夕飯  与謝野晶子  大正6年10月  
前 20行 略  
今日は勿論家賃を拂ひませなんだ。  
その外の拂ひには 
二月まへ、三月まへ、からの借りが 
義理わるく溜ってゐるのです。 
それを延ばす言葉も 
今までは當てがあって云ったことが 
已むをえず嘘になったのでした。 
しかし、今日こそは  
嘘になると知って嘘を云いました。 
どうして、ほんたうの事が云はれましょう。  

何も知らない子供達は  
今日の天長節を喜んでゐました。 
中にも光は 
明日の自分の誕生日を 
毎年のやうに、気持ちよく  
弟や妹達と祝ふ積りでゐます。  
子供達のみづみづしい顔を  
二つのちやぶ臺の四方に見ながら  
ああ、私たちふたおやは  
冷たい夕飯を頂きました  
以下 10行 略  
           現代日本名詩集大成  (7)創元社

           与謝野晶子全集    (10)講談社   
Posted by kinnyuuronnsawa at 16:22

2011年12月22日

758 十二月の詩

758 十二月の詩  2011.12.22 

八木重吉  1898−1927    

 夕焼 
夕焼けをあび/手をふり/手をふり/胸には ちさい夢をとぼし/手を握りあわせてふりながら/この夕焼けをあびてゐたいよ/ 
 冬 
冬は/ことに夜になると凄い/けれど その気持ちのまんなかに/きっと明るいものが小さくともってゐる/ 
 春 
天国には/もっと いい桜があるだろう/もっと いい雲雀があるだろう/もっと いい朝があるだろう/ 


草野心平は、「私の中の流星群」1975.8 新潮社 を残している。
43人の文学者との交友と好意的批評である。
短いものが殆んどだが、そのなかで、長いのは、高村豊周、萩原朔太郎、草野民平、そして八木重吉である。

短くても有名なのは、中原中也論である。
「空間」
中也よ。
地球は冬で寒くて暗い。

ぢや。
さやうなら。

八木重吉に関しては、1960年11月発行の「現代日本名詩集大成」第7巻に草野心平、中原中也、八木重吉、岡崎清一郎、逸見猶吉、尾形亀之助、山之内漠、が載っているが、八木重吉のあとに、草野心平が八木重吉の年譜と覚え書を寄せている。

その同じものが、「私の中の流星群」に再録されているのだ。
それによると、草野と八木が会ったのは一回だけ、大正14年、柏に住んでいた八木家を訪ね、泊まった。

その3年後に八木は肺結核で亡くなった。
手紙のやりとりも数回だけである。

草野心平は。八木の詩、720編に目を通し、217編を選び、1948年3月、創元社から「八木重吉詩集」発行に際して、編集にかかわった。

八木重吉の詩で、私が一番好きなのは、「明日」である。

百行ちかくある、長詩だから、今日ここに書くわけにはゆかない。
いつか、書くこともあろう。

八木重吉の生涯は短い。
娘、桃子は15歳で、息子 陽二は16歳で、父のあとを追った。

もっと、もっと、読まれてもいい、詩人である。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 19:43

2011年12月10日

757 昼、火事を見た 

757 昼、火事を見た  2011.12.10  

今日、10時10分、なにげなく、ベランダに出た。
今夜、月蝕を見るのも、ここからだと、東、南、西を見た。
空は青く、12月には珍しい暖日、雲ひとつない。

ところが、北東、小学校の3階の建物の左に、煙が上がっているのが見えた。
なんだろう。
煙は、細い。
むかし、郊外を歩くと、タイヤを燃やしているのに出会った。
あれは、よく燃える。
煙が、よく出る。
そういうものなのかと、最初は思った。

煙は、だんだん太くなり、黒くなってきた。
龍のように動き、右上に広がり、やがて白くなり、最後は雲散霧消して、青空ばかりになる。
我が家から、1000mぐらいだろうか。

10時15分ごろ、雲は黒くなり、太くなってきた。
それが、右上にひろがり、白くなり、やがて消える。
これは、火事なのだ、と気が付いた。

すごいものだ。
日本という国は。
すぐに、サイレンが、聞こえてきた。
早くも、消防車が集まっているのだ。
私が発見してから、10分ほどしか過ぎていない。

じっと見ていた。
黒く太かった煙の帯は、まもなく、細くなり、白くなって行く。
その間、消防車のサイレンの音は、大きく、激しくなって行く。

火元は、どんな家か知らないが、早く消えてほしいと、思った。
消防車のサイレンを心強く思った。

こんなことは、あの戦争中も含めて、初めてだ。

10時半ごろ、早くも煙の勢いは弱まり、黒い色は薄くなってきた。
わたしは。メモ用紙と鉛筆を取りに行きながら、時計を見ていたのだ。

サイレンは、まだ、しきりに鳴っている。
何十台が、来ているのだろうか。

まもなく、黒い雲も、白い雲も見えなくなったが、放水の水が見えた。
近くにある小学校の3階の上まで、水は跳んでいる。

都会での、相互扶助、防衛体制は、凄いものだと思う。

空は、真青だ。
わずかに、南西に薄い、白い雲が見える。
そうか、雲は、こうして、できるのだ。
始めから白いのではない、と納得できた。

1時間あと、ベランダに出た。
何事もなかったように、穏やかである。

当事者には、大変なことが起こった、というのに。


二つのことを知った。

自然と社会の偉大さ、である。

社会。
西部劇で、騎兵隊が駆けつけたときに感じた安堵感。

自然。
1時間も経てば、なにごとも無かったように静まる青い空。


かくて、今日は、またとない好日だった。


  
Posted by kinnyuuronnsawa at 15:58

2011年12月04日

756 冬なれど好日

756 冬なれど好日 2011.12.4  

(12月3日記)12月に入ったら、たちまち寒くなった。
2日の夜からの雨が、3日の昼過ぎに漸く、あがった。
薄日がさしている公園に、また、オナガの群れが来ていた。
公孫樹の葉が落ちて、公園を絨毯のように覆っている。
午後1時だろうか、いまも風に打たれて、ヒラヒラと舞い落ちている。
わが家のベランダにも、何枚か降ってくる。

公園に集まっている子供たちは、今日はサッカーなどを、やめて、落ち葉と戯れている。
黄色い絨毯の上を、走りまわっている女の子がいる。
もっと葉っぱを落とそうと、いろいろ投げ上げている男の子がいる。
台風で荒んでいた今年の紅葉だったが、その後は例年のような美しさを回復した。
そして、この週末、一気に散って行くのだ。

少し歩いて行くと、このあたりに僅かに残っている畑がある。
青野菜を収穫した後に、花キャベツが育っている。
いまは、べつの名前があるだろうが、昔から、正月の飾りものとして、鉢植えを買ったものだ。
この畑では、30列に、ピンクと白が20株ずつ並んでいる。
通るたびに太く、美しくなってきている。
こういう花は、我が家で1つや2つを飾っておくものではない。
畑に並んでいるのを見る、それが正月を目指して、成熟して行き、ある日、出荷のため一斉に無くなるのを見るのが楽しい。

もう少し歩くと、東邦大学がある。
薬草園に、いまは華やかな色はない。
僅かに、ダリヤのような赤い花が2輪のこっていただけ。
裏に回ると、小さな樹林がある。
ここでは、大きな針葉樹の茂みのなかで、鳥たちのさえずりが、にぎやかである。
種類は多いが姿は見えない。

今日は、土曜日で学生は少ない。
学食の近くで、管楽器の音が聞こえてきた。
翌日の第41回、オケ 定期演奏会のポスターが張ってあった。

隣は、日大生産工学部、さすがに桜の木が沢山あるが、昨日からの風雨で葉はあらかた落ちて、明るい空が見やすい。

ここらは、習志野騎兵師団の跡である。
NHKの「坂の上の雲」は、第3部に移るが、わが町は閑静である。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 10:23