2011年06月30日

724 「資産株」は死んだ 

724  「資産株」は死んだ  2011.6.30 

東京電力の株式を1951年に、1株 500円で、100株買っていた、と仮定する。

投資金額 50,000円。
この金額は、当時は大金だった。
封鎖された旧円で買った金持ちが多かったかも知れない。
炭労が、月給1800円を要求していた頃だ。

毎年 1割配当。
500円の額面に対して、50円の配当を受け取ったとする。
1年間で100株×50円=5000円。

仮に、2011年までの60年間、それが続いていたとする。
60年間に受け取った配当金は、1株あたり50円×60年間=3000円である。

100株 持っていたから、100株×3000円=300,000=30万円である。
初期投資 5万円の6倍である。(物価や税金を無視している。)

最初から、1株500円で東電株を持っていた人は、60年間で、充分、元を取ったと言える。
現在の、約75万人の株主の中に、その名義の人も居るだろう。
どれだけかは、想像もできない。
それらの株主は、東電という株式の死を、以て瞑すべき、であろう。

現在、約75万人の、東電の個人株主の中に、創業期からの株主が、どれくらい居るだろうか、私は知らない。

80年代以降の株式ブームのあとで、東電の株式を保有した人もいるだろう。
そういう人も、目当ては配当で、IT銘柄やニュービジネスには、ついて行けない個人投資家が、電力株を買ったのではないだろうか。

米国で、かつてAT&Tは、代表的な資産株であった。
80年代の通信自由化で、AT&Tは分割され、その市場に新企業が乱入した。
結果、AT&Tを保有していた個人株主は、強烈な打撃を受けた。

株式市場は、米国でも日本でも、資産株という言葉を忘れてしまった。

DEFENSIVE STOCKと言って、それらを軽視して、成長株ゲームに走った。

残念ながら、今回の原発事故の結果は、ただ一つ、日本の株式市場に残っていた安定した産業、継続した配当を続ける株式への信頼を、タタキ、ノメシテしまった。

そういう意味で、日本に限らず、株式市場への影響は甚大だと思っている。
  

Posted by kinnyuuronnsawa at 19:25

723 東電の個人株主

723 東電の個人株主 2011.6.30 

1)東京電力のHPには、「国内債発行の系譜」というページがある。
そこには、国内債、普通社債の発行条件が、1951年7月分から2009年12月分までの57本について一覧表になっている。
この表を眺めていると感慨無量である。
電々債、一般社債に先立って、これは戦後の社債発行の歴史である。
なお、2011年3月期末の東電の社債発行残高は、4兆4425億円である。

2)野村證券社長であった、瀬川美能留が日経に連載した「私の履歴書」には、戦後の証券市場の回顧がある。
「昭和21年から24年にかけて、配電株の公募など、株式民主化運動の試金石となるものを取り扱った。
東電の労務担当の木川田常務の理解と協力のもとに、成功して終わった」

3)電力株は、いつも安定配当が目当ての、いわゆる資産株であった。
東電の2011年3月期末の個人株主の持株比率は、43.7%、個人株主数 74万6932名、
ちなみに、トヨタ自動車の個人持株比率は22.6%、個人株主数61万6708名。

4)最初に電力株に注目した機関投資家は、外国人であった。

1986年から87年にかけての金融相場では、ついに電力株も高騰した。
1987年4月には、東電の株価は、9420円を記録した。
このときは、銀行、損保、証券株も、空前絶後の高値をつけた。

5)いろいろなことが、昨日のことのように思い出されて仕方がない。

6)6月28日に、東京電力(株)の株主総会が開かれた。
この日、東電の株価は376円であった。

新聞、テレビが報道したように、会社側の提案は、すべて可決された。
無念であっただろう。東電の個人株主は。

今回の被災者とおなじように、あの日、降って湧いたような被害者である。
会社側提案は、機関投資家の結束によって、可決された。

個人投資家は無力である。約75万人が泣き寝入りとなった。
東電のように、個人持株比率が43.7%、個人株主数が74万6932名であっても、9309名が株主総会に出席しても、「隆車に向かう蟷螂の斧」であった。

戦後、瀬川美能留たちが夢見た証券民主化は、何だったのだろ
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 15:44

2011年06月12日

722 六月の詩

722  六月の詩  

           佐藤惣之助  1890−1942   

   六月  

六月よ、おまへは窓の乙女だ 
そよ風が来てよい匂ひをつける。 

そよ風よ、おまへは小舟と小波だ 
夫れは乙女の胸のやうに揺れる。  

乙女よ おまへは祭りの日の靴だ。
足許には花の撒かれた路がある。 

路よ おまへは乙女の口髭だ 
チョッピリすみれの影がさす。  

すみれよ おまへは昔の唄だ 
思ひ出してはすぐしぼむ。 

日光よ おまへは乙女の預金だ 
あこがれを空いっぱいに持つ。 


   船乗りの母  

息子は青い地球の玉を  
二度も三度も廻って来た 
柘榴色(ザクロ)色の日のさす横の方の海原にゐたり 
真下の異国の港にゐたり
赤道の帯を幾度もまたいで来た  

しかし母は田舎にゐて 
忍冬(スイカズラ)や野茨(ノイバラ)でこんがらがった  
垣根の内へ鶏を追ひこみながら  
一日ボロを縫ってゐる 

世界は大きい 
地球も大きい 
息子は地球をとぶ木靴をもっている 
しかしどこへも行かない母親は 
世界の田舎を雌鳥(メンドリ)のやうに抱いている。


   家 

この泥の地上に家をたつる
あはれ、紙と木との家をたつる。

まこと紙と木に風雨をちりばめ。
軒に花を置き 
小さき月の谷間をつくり 
わが世の夢の枕を置くのも 
いつかはこの地が  
発光する星であると信ずるが為めだ。

あわれ、われら家をたつる 
紙と木をもて家をたつる。


  佐藤惣之助  小伝  

佐藤紅緑に師事し、千家元麿、福士幸次郎らとつぎつぎと同人雑誌を出し、室生犀星と知るに及んで、名実ともに詩壇的地位が築かれた。
処女詩集「正義の兜」をふくめて22冊の詩集を出版した。

詩人の性格は天真闊達、まことに多技多能で随筆八冊、釣書七冊、句集二冊があり、琉球諸島、南洋、支那大陸、オホーツク海にいたるまで漂泊をとどめなかった。
昭和17年、萩原朔太郎の死に遅れること4日にして、5月15日夕刻、外出先で急逝した。亨年51歳。――

 現代日本名詩集体制 第5巻 より ―



  佐藤惣之助には、歌謡曲の作詞も多い。

    赤城の子守歌  作曲  竹岡信幸  唄 東海林太郎 
    湖畔の宿        服部良一    高峰三枝子 
    緑の地平線       古賀政男    楠木繁夫 
    人生の並木路      古賀政男    デイック・ミネ 
    人生劇場        古賀政男    楠木繁夫 
    青い背広で       古賀政男    藤山一郎 
    すみだ川        山田榮一    東海林太郎 
    男の純情        古賀政男    藤山一郎 
    上海の町角で      山田榮一    東海林太郎 
    南京の花売り娘     上原げんと   岡晴夫 
    新妻鏡         古賀政男    霧島昇・二葉あき子 
    むらさき小唄     
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 09:05

2011年06月09日

721 特例国債法案 

721 特例国債法案  2011.6.9  

以下、公債も国債も同じ意味として、言葉を使う。

わが国は戦後、公債不発行主義を取った。
財政法は、第4条で「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以って、その財源としなければならない。」と規定している。
法律には「但し」と「なお」が付き、しばしば、主文よりも重要である。

ここも、「但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金となすことができる。」と、いわゆる建設国債については、一定の条件付きで発行を容認していた。
だから、建設国債を4条公債という。

それに対して、財政法が禁じている赤字国債の発行については、発行の都度、特例法を制定しなければならない。

1965年度に、田中から福田へのリレーで発行された戦後はじめての国債は、特例法を制定して発行した赤字国債である。
だから赤字国債を特例国債ともいう。

赤字国債は、昭和50年度から現在まで、平成2-5年を除いて発行されてきた。
その都度、特例国債法を制定して、1年分ずつ国会で承認されて、赤字国債は発行されてきたのだ。
これは、与党は、多数だったから何の問題も無かったのである。

今となってみると、赤字国債は、「特例法を制定しないと発行できない」、というのは、重要な歯止めであったことが判る。

歯止めは、いつも利くとは限らないが、思わぬときにOVER ACTIONを起こすものである。
今回は特例法が否決されて、赤字国債が発行されなくなり、予算が実行されなくなる可能性は大いにある。
それで、政府機関が一時閉鎖になってもよい、と私は考えている。

そこまで行かなければ、大連立政権の発足はできないだろうし、国債問題に関して、現状からの脱出のキッカケは発見できない、というのが私の意見である。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 11:46

2011年06月07日

720 国債論議のために 

720  国債論議のために  2011.6.7  

いよいよ国債問題が深刻になってきた。
2010年4月1日のブログ、「619 おそろしい試算」を更新しておく。
諸兄の議論の参考になれば幸甚である。

国債は、あと、どれだけ発行できるか、おそろしい試算になる。

2011年3月23日に発表になった日銀の資金循環表による。 
  2010年12月末残高  速報 単位 億円

  家計の純資産残高
家計金融資産残高         14,892,881  (1)
    負債残高          3,602,833 (2)
(1)−(2)=家計純資産残高  11,290,047  (3)

  家計の現金・預金残高
家計の現金・預金残高      8,206,670  (4)

  国債の発行残高
  国債・財融債 発行残高  7,271,166  (5)
  うち   国債      6,006,193  
  うち  財融債      1,264,973  


  国債の保有残高
以下では、国債+財融債で、議論を進める。
国債だけの保有統計は入手できない、財務省も作成していない。

国債・財融債保有残高   金融機関  5,614,573 (6)
その他      非金融法人企業   64,444
           一般政府   771,578
              家計   329,689
         対家計民間非営利団体 140,128  
               海外   350,754  
                 小計 1,656,593 (7) 
金融機関 (6)+その他(7)=7,271,166=(5)



ここからが、本論である。

家計の預金は、金融機関に預けてある。
金融機関が保有している現金・預金は 12,806,980  (9)。
このうち、家計から預かっている現金・預金は、8,206,670(4)・

  
金融機関は、いくら国債・財融債保有を増やせるか。   

家計の現金・預金残高を全部、国債・財融債の購入に投入すると仮定する。
家計の現金・預金残高−金融機関の国債・財融債保有
(4)−(6)=2,592,097    (10)

金融機関は、国債・財融債保有を、あと259兆2097億円増やせる。

これを、現在の保有高 5,614,573に加えると、
(6)+(10)=5,614,573+2,592,097=8,206,670
金融機関は、820兆6670億円まで、保有を増加できる。

他の機関の保有が増えないとしても、発行残高は増加できる。
(5)+(10)=7,271,166+2,592,097=9,863,263

国は、986兆3263億円まで、発行残高は増加できる。
これには、国債だけでなく財融債が含まれている。


一方、予算成立後に財務省が発表している「国債整理基金の資金繰り状況等についての仮定計算」がある。
いくつかの仮定を置いてだが、年度末公債残高は、平成32年度(2020年度)末、993兆円と試算されている。

これには、財融債は含まれていない。だから、ややこしい。
財融債残高は、22年暦年末 1,264,973の実績である。





この額が、平成23年度以降も、変わらないとすると、国債・財融債の残高は、次のようになる。(兆円)
       国債    財融債   合計
23年度末  667     126     793 
24     708     126     834 
25     750     126     876 
26     794     126     920 
27     828     126     954 
28     862     126     988! 
29     894     126     1020 
30     927     126     1053 
31     960     126     1086 
32     993!    126     1129 


家計の現金・預金残高を、すべて国債・財融債の購入に使っても平成28年度以降は、発行される国債・財融債を消化できない。

ただし、財融債は別だ、国債と違って税金で償還するものでなく、財融債を使って実施している事業の収益で償還できるとするなら、外してもよい。

その場合でも、平成31年度までしか保たない。
家計の現金・預金を全部、国債・財融債の購入に投入するという、極端な仮定を置いても、この結果である。


財政再建は、どうすればよいか。

財政の緊縮で、間に合う金額ではない。
海外投資家には、いまさら期待できまい。
この試算で明らかなように、家計の現金・預金が増加すれば、国債の消化能力が拡大する。

そのためには、増税だけでなく、経済の成長、企業収益の拡大が不可欠である。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:17

2011年06月06日

719 NHKの変節 

719 NHKの変節  2011.6.6 

「この自由党!」板垣進助 1952.9  理論社 
著者は、占領下の7年、そのペンに鎖をつけられていた、日本の新聞記者たちの集合名詞、だと名乗って出版された暴露もの。
「ニッポン日記」マーク・ゲイン 1951.秋 邦訳出版 
著者は、シカゴ・サン紙の特派員として、1945年12月から約1年間、日本、朝鮮に滞在して、敗戦直後の日本の実情を報道した。
原著は1948年ニューヨークで出版された。
――新憲法をつくる人たち ――では、占領軍による押しつけを暴露し
――内戦へのシグナル ――では、朝鮮戦争の勃発を予告した。

昨夜、これらを思い出した。

6月5日、午後9時―10時 総合TV NHKスペシヤル 
     シリーズ 原発危機 
     第1回  事故はなぜ深刻化したのか、 
   政権中枢と東電幹部が激白  
   内部資料を徹底検証  
   緊迫のドキュメント  
「当初の想定を超え、水素爆発やメルトダウンなどが進行し、後手後手の対応のなかで汚染は拡大していった。」

番組は迫力ある内容だった。
海江田大臣が登場した。
元首相補佐官、いまでも毎日のように官邸に出入りする寺田氏も出た。
いずれも、菅直人氏には、不利な印象をあたえる証言である。

この3カ月、「ベント」を「ベトー」したかどうかで、不毛な論争を際限なく繰り返している。
これには、NHKの報道にも責任がある。

昨夜、NHKは、反体制派として、姿勢を変えたと私は思った。
WHY,NOW?

「この自由党」や「ニッポン日記」と同じだ。

この、現代の、ニッポン、でのことである。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:28

2011年06月02日

718  コラムの限界 

718 コラムの限界 2011.6.2  

あれから3カ月が近づくが、テレビ、新聞の報道に満足したことは少ない。

新聞にはコラムが連載されている。
日経なら「春秋」「大機小機」「十字路」朝日なら「天声人語」「経済気象台」などがある。
このうち、社外の執筆者の実名が出るのは「十字路」だけである。

3月11日以降、震災、原発関連について書かれることが多い。
執筆者にとっては、1回しか書かなくても、大勢が書くから、読者は震災、原発について毎日読まされることになる。
その内容は、まちまちであり、重複もある。
「天声人語」や「春秋」は複数の執筆者であっても、社内の人が書き、編集会議もあるから、統一は取れている。
あとは、「十字路」を除いて、ペンネームで書かれており、自由な論調である。

それが、良し・悪し、である。
とくに、今後の復旧、復興について提案が書かれているが、思いつきにすぎないことが目立つ。
そういう私も、このコラムで震災、原発関連について書いたが、深い洞察や知見に基づいたものではない。

震災や原発事故に関して、復旧、復興を論ずるには、二つのボトルネックがある。
第一は、現在では、必要な情報が不足している。
与件がそろわないのに議論をしなければならない。
第二は、コラムでは紙数が少なすぎるのである。

最近、敬服して読んだものがある。
日経の経済教室、「東電公的管理の課題」である。
5月25日、中央大学、野村修也教授、「賠償枠組み、整合性に疑問」
5月26日、一橋大学、山内弘隆教授、「供給体制、復旧後に見直し」

前者は、今回のスキームへの批判であり、後者は、今後の運営体制への意見である。
6段ぬきの字数で、推敲された文章だから、読めるし、議論のタタキ台になると私は思った。

今回、大学の人が、政府参与として、委員会委員として発言している。
それも結構だが、学者は堂々たる言論を以て貢献をしてほしい。

ジャーナリズムは、自らは能力がないのだから、学者たちに紙面や時間を提供して、高いレベルの言論交換を活発にしてもらいたい。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:49