2010年10月30日

666 ペシャワール会

666 ペシャワール会  2010.10.30   

10月24日、ペシャワール会、現地代表の中村哲さんの講演会があった。
千葉 京葉銀行文化プラザ音楽ホール 19時―21時  概要を記す  

1)アフガニスタンは、人口1200万人とも3000万人とも。
20以上の民族と、言語がある。一応、2000万人としておく。
国境は不明。3-5000m級の高山多数、その中腹、山麓に集落をなして住む、谷ごとに分かれた社会がある。
人口の90%が、自給自足の農民。雪が、人の命の源。
水がない、雪が溶けて流れてきて、それを貯めて飲み、耕し、家畜を養う。
地域の集合が国家を成す。
100%、イスラム社会。教会が地域を、長老が人々を支配している。

貧富の差が激しい。
欧米に子弟を留学させる富豪もあれば、小学校へも行けない子供。
貧の実情は、外国へ伝わらない。

アフガン戦争勃発。
1979年12月以来、ソ連兵10万人が侵攻、9年間で200万人が死亡、600万人が国外へ逃亡。
300万人はパキスタン領ペシャワールへ。

2)ペシャワール会。1984年5月。ハンセン病対策から始めた。
医療以前の問題に苦労した。
そこで、郷にいれば郷に従う、地域の尊重、外国の流儀をおしつけないことにした。
1989年2月、ソ連は完全撤退、難民200万人は帰国。その後、混乱拡大。

ハンセン病の治療だけでは、ラチが開かない。他の病気も多い。
よって、診療所を作った。
長い間かかって、98年4月、PMS(peace japan medical service)病院が設立できた。
以後、アフガニスタン、パキスタンにまたがって、活動している。
日本は日露戦争で、あのロシアに負けなかった。ヒロシマ、ナガサキを経験した。
憲法9条があって戦後、海外出兵をしていない。
日本への好感により活動が支えられている。

3)タリバン政権は刀狩りで、国内安定。
さりながら、干ばつにより、1200万人が被害に会う。
村が消えて行く。そこで、水の問題が最優先だと考えた。
井戸を掘る。2000年8月から、1600本掘った。数十万人を救った。

2001.2 国連のアフガニスタン制裁始まる。
餓死者百万人の危機のおり、食料供給を絶った外国人にたいして、国民の反感は強い。
そこへ、9.11 テロ。アフガニスタンへの空爆論が高まった。
テロ対策はすべてではない。
それは警察のやること。軍事、外交のやることは別にある。
飢饉のため、日本から小麦を運んだ。
20名のペシャワール職員、勇敢なアフガン人の協力、米国の無差別爆撃の中で、実現できた。

いまのアフガニスタンは、ケシ畑ばかり、イスラム原理主義のタリバン政権は厳禁したが、麻薬、売春、乞食の天国だ。
本来は、自給自足、外国から侵されない、金の要らない国なのに。

4)井戸堀りから用水路建設に進んだ。
維持、補修ができるために、地元の人の人力でやる。雇用機会の増大になる。
江戸時代の水利技術が生きる。日本と同じ、急流が多い。
「ジャカゴ」を、8年で、五万個を置いた。「斜め関」も築いた。
自然とはケンカしない。

緑が戻ってきた。砂漠で田植えをした。
1万4000HRの緑地に、六十万人が働けている。

「人のために働く、これでよいのだ。」

私は、ペシャワール会の活動も、中村さんのことも、よく知らなかった。
講演を聞いたのは初めてだ。

彼は、九州大学医学部卒業の医師である。
現地で医療活動を行いながら、独学で治水、土木工事を習得した。
小さな体で、自らもモッコをかつぐ。
静かな語り口ながら、はげしい言葉も混じる。

現代の「行基」、「空海」だと思った。

活動資金も工事費も、全て会費や寄付でまかなっているという。
功績が認められ、多くの受賞がある。
外務大臣、厚生大臣賞が早いが、毎日、読売、朝日新聞も表彰している。

いま64才、70才まで最低6年は続けると言っておられる。

彼に続くものが出ているのだろうか。
日本人でなくてもいい。
外国の人や民間企業で水利事業を展開する人が、増えているのだろうか。
出ていないなら、何故だろうか。
私は知りたい。
  

Posted by kinnyuuronnsawa at 12:28

2010年10月21日

665 都心の大植物園

665 都心の大植物園  2010.10.21

10月17日、小石川後楽園へ行った。
日曜日の昼過ぎだが、人出は少ない。
紅葉には早く、わずかに萩の花が色をつけているだけだ。

こんな都心の真ん中でも、静かだなと思ったが、さにあらず、上空からヘリコプターの音が聞こえる。
ただの一機が、何度も旋回をしているのだが、すさまじい騒音である。
一機だけでも、こうだからと、沖縄を思った。

感興をそがれたので、外へ出た。
東京ドームの前の車道で、大勢の警察官が車を停めて、不審物の捜査、と言っていた。
だから、ヘリコプターだったのだ。

しばらく歩いていたら、騒音は聞こえなくなり、前方に大きな森が見えた。
東京大学の小石川植物園だ。初めて入場した。
(以下 東大HPによる)
広さは、小石川後楽園の数倍、温室に約1100種、屋外に約3000種の植物がある。
徳川幕府が1684年に作った「小石川御薬園」に始まり、徳川吉宗の時代の「小石川養生所」もここにあった、という。
明治10年に東京大学が設立されて、付属植物園になった。
さすが徳川家、さすが東京大学、よくぞ残している。

大学院だから研究施設も多いが、敷地の約3分の1は深い森である。
ソテツ、メタセコイア、ヒマラヤスギ、ボダイジュ、スズカケノキ、ユリノキ、などの大木が群生している。
もちろん、ウメ、サクラ、マツ、イチョウ、ハナショウブや、日本の針葉樹林も広いが、私は、外来樹の巨木の林立に圧倒された。

ここでも、今日の人出は少ない。
深い森とは様変わりの明るい日本庭園には、小さな池が沢山ある。
どんぐりを拾う老人と子供、池の虫を探す小学生たち。
斜面を見て、次は段ボール板を持って来ようねと、幼児に話している若夫婦。
ここでは、人々の動きをみて、心なき身も、おもわず微笑したくなる。

銀杏の実を黙々と拾っていた中年の男に、実の取りだしかたを教えてあげた。
何の反応もなかったが、それでよいのだ。

秋たけなわ、静かな、よい午後であった。
東京の都心は、こういう場所でもあるのだ。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 19:19

2010年10月20日

664 経営論の半世紀

664 経営論の半世紀  2010.10.21

DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューの9月号は、発売後すぐに買って保存している。

「1959年、マッキンゼー財団の申し出により、Harvard Business Review誌に「マッキンゼー賞」が創設された。
同賞は、産学の有識者による選考の下、その年に掲載された論文のなかで最も優れたものに授与される。
これまで、
ピーター・ドラッカー    7回
マイケル・ポーター     6回
セオドア・レビット     5回
ゲイリー・ハメル      5回
C.K.プラハラッド     4回
ヘンリー・ミンツバーグ   2回
クレイトン・クリステンセン 3回
ジョン・コッターなどの錚々たる面々に、この賞があたえられた。」P8

毎年、金賞と銀賞がある。
1959年から50年分、100本の一覧表が、P9以下に掲載されている。
ただし、1986年以前は、1ページに4本で、物足らない。
それでも、この100本の論文リストは、絢爛豪華な経営学史である。

この50年のうち、私が多少なりとも経営学の勉強に関わったのは、70年代―80年代の一時期である。
だから、講演や講義を聞いた記憶があるのは、このなかで、ジョン・ダンロップ、ピーター・ドラッカー、ジョージ・ロッジ、ウイリアム・アバナシー、ロバート・ヘイズ、マイケル・ポーター、キム・クラークぐらいである。

今日10月20日、日経、朝刊に「コロンビア大学が米国版、デミング賞」を創設し、第1回は米国IBMのCEO、サミュエル・パルミサーノ氏が受賞したとあった。
デミング賞は、日本には古くからあったが、米国にはなかった。

マッキンゼー賞のような、おもに学者の論文を対象にした経営学賞は、日本にもあるのだろうか。私は知らない。

ぜんぜん別の分野だが、近年、芥川賞の権威が著しく低下しているように思う。
私は、この3-4年は、また受賞作を手にとって見たが、失望の連続である。

日本で、もてはやされるのは、ノーベル賞だけなのだろうか。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 21:45

2010年10月14日

663 十月の詩

663  十月の詩  2010 10.14 

      乳母車  三好達治  1900−1964  
母よーー
淡くかなしきもののふるなり 
紫陽花いろのもののふるなり 
はてしなき並樹のかげを 
そうそうと風のふくなり 

時はたそがれ 
母よ 私の乳母車を押せ 
泣きぬれる夕陽にむかって 
凛々と私の乳母車を押せ 

赤い総ある天鴛絨の帽子を 
つめたき額にかむらせよ 
旅いそぐ鳥の列にも 
季節は空を渡るなり 

淡くかなしきものの降る 
紫陽花いろのもののふる道 
母よ 私は知っている 
この道は遠く遠くはてしない道 


     土  
  蟻が  
  蝶の羽をひいて行く  
  ああ   
  ヨットのやうだ。  

これが、最初に出会った、三好達治の詩だ。中学生だった。  
その頃は、彼が「フア―ブルの昆虫記」を訳していたとは知らなかった。   

次は、「甃(いし)のうへ」だったかな。

高校、大学生の頃、「詩」に興味を持った。

その発火点の一つは、三好達治であった。   
今でも、手元に、むかし買った入門書の類がある。たとえば。

「詩を読む人のために」 1952年6月 至文堂 1991年1月 岩波文庫 
「新唐詩選」1952年8月 岩波新書 吉川幸次郎と共著 
「諷詠12月」1952年12月 新潮文庫 
「三好達治詩集」 1956年2月 新潮文庫 
「現代日本名詩集大成」1960年7月 創元社 著者代表 三好達治 
「三好達治詩集」 1971年1月 岩波文庫 
ほかに、「達治」の評伝を、ずいぶん読んだ。いくつかは、保存している。
そのなかでは、「わが心の詩人たち」中村真一郎 が好い。

40代の半ばになって、とくに愛唱したのは、「志 おとろへし日は」である。  

今でも、達治の詩を、よく口ずさむ。
長いものが好きだ。
「汝の薪をはこべ」  
「おんたまを 故山に迎ふ」など。    

暗誦は出来ないが、ほかに読むのは、戦後、彼が糾弾されてからの作品だ。  
たとえば。   
   「氷の季節」  
   「竹の青さ」      

  最後に、ここに引用するのは、この詩にしたい。  

      鴎どり  1939年  三好達治 39才  

   遠き日 
   十とせあまりも遠き日に  
   われはも何をうしなひし  
   なつかしき伊豆の浜べに  
    鴎どりうかびただよふ  
    見つつゐて今しさとりぬ  
    われはも何をうしなひし  
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 21:47

2010年10月10日

662  エマーソン買収

662  エマーソン買収   2010.10.10  

「日本電産が、エマーソンのモーター事業部門を、600−700億円で買収する」という記事が、8月18日の日経トップにあった。
このことは、私は予想し、期待していた。

エマーソン・エレクトリックという社名を知ったのは、「エクセレント・カンパニー」という書物である。
いま見たら、英文1冊、邦文4冊が書棚にあった。
日本での出版は、1983年7月だった。そこに、エクセレント・カンパニーの1社として、エマーソンの事例が記述されている。

ダイアモンド「HARVARD BUSINESS REVIEW」という月刊誌がある。
その2010年9月号は、「マッキンゼー賞、経営論の半世紀」であった。
読み応えがある。毎年、毎月の論文の中で、金賞、銀賞を選んでいるが、それを半世紀分、紹介している。

その中に チャールズ・ナイトの「エマソン社の「超」現実経営」が、1992年に銀賞を獲得している。
この賞は、ドラッカーをはじめ、著名になった経営学者が多く得ている。
学者ではない、エマーソンの会長であるチャールズ・ナイトが受賞したのは異例である。ナイト氏は、中興の祖である。彼が、エクセレント・カンパニーにした。毎年、EPS、DPSを増やし続けた。
彼が、退任したあとの2001年と、昨2009年だけは、減益を記録した。

それにも、まして、日本電産の永守社長は、すごい。
チャールズ・ナイト社長に、はじめて会ったときに、「お前の会社を買いたい」と、話したようだ。
それが、今回、1部分ではあるが、6-700億円の買収として実現した。

私は、日本電産の永守社長の、最初の講演を聞いた。
そのあとで、彼は著書を出した。
清掃の話と、ベルサイユの池の鯉と鯰の話を覚えている。
三協精機の買収の後だった。

あの、エクセレント・カンパニーを、部分的にしても、買収したことに敬服している。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 19:58

2010年10月09日

661 海外生産比率

661  海外生産比率   2010.10.9 

10月5日に発表された、日銀の異様な政策に驚いている。
それにもかかわらず、円高は進行している。
10月8日には、1ドル81円をつけた。
円高は、日本企業にとって、深刻な打撃になるのだろうか。
そうでもないと、私は思っている。

9月24日の日経朝刊の1面左に、注目すべき記事があった。
「海外生産比率、引き上げ加速」の見出しだ。

トヨタ自動車 2010年に57%に
日産自動車 11年3月期に、7割強に
ホンダ 7割強 
コマツ 建機が11年3月期に59%超に。
HOYA 11年3月期に69%超に。
日本電産 11年3月期に9割超に。
キャノン 10年1-6月に48%。
オリンパス 現在4割― 15年3月期に5割。

一見して判るように、記者の報告を、そのまま掲載しただけで、同じ基準での海外生産比率として比較はできないが、高まっていることは間違いない。

それならば、円高への対応力は、以前、1ドル79円を付けた頃より、弱くないはずである。
少なくとも、これらの海外生産比率が高まった、特定の業界の大手企業にとっては、である。
それでも、各社は以前と同様に、円高に対する悲鳴を唱えている。
はたして、本音だろうか。

単純な輸出依存の時代は、過ぎ去っている。
海外生産比率は、ますます高まる。
企業買収も、その近道である。

8月18日の日経夕刊のトップで、「日本電産、米で事業買収」と、ある。
エマソン・エレクトリック社のモーター事業部門を、600−700億円で買収するという記事だ。

そのなかに、以下の買収実績も出ている。
アステラス製薬 OSIフアーマシューテイカルズ 3,680億円
NTT       デイメンション・データ 2,860億円
資生堂      ベアエッセンシャル  1,730億円 
キリンホールデイングス フレイザー・アンド・ニーブ 846億円 
日本製紙グループ 理文造紙公司 426億円 

いずれも、2010年の事である。
この10年を取れば、日本企業による海外企業の買収は、飛躍的に増加した。


さらに、為替レートは、対ドルでは、1ドル79円の円高記録を更新寸前だが、日本銀行が発表している「実質実効為替レート」では、そうでもない。

2005年を100として、現在は105ぐらいである。
2007年では、80であった。

過去との違いを、いろいろ分析して対策を考えるべきである。

民主党も日銀も、狼狽しすぎているように思えてならない。



  
Posted by kinnyuuronnsawa at 14:00