600 トヨタの欠陥車 10.1.30
最近の新聞をみて、こころが痛む。
あり得ないと思っていたことが起こっている。わが愛する、トヨタのことだ。
1/27 朝日夕刊 一面トップ
トヨタ、米での販売中止
230万台リコール対象の8機種。
1/28 日経夕刊 一面 中央
トヨタ 109万台追加改修
米、フロアマット問題 新たに5車種
1/29 朝日朝刊 1面 中段
トヨタ 中国でもリコール
1/29 朝日朝刊 13面 トップ
トヨタ リコール800万台
北米、レンタル停止も
1/30 朝日夕刊 1面 左
欧州で最大180万台
07年に米国で苦情
どこまで広がるのか、トヨタの欠陥車問題である。こういうことを起こす会社だとは、思っていなかった。それは、世界中の多くの人の思いでもあろう。
1960年代の後半から、ラルフ・ネーダーが活躍し、GMをはじめ、ビッグ3は、消費者運動に揺さぶられた。最初は、事故をおこす欠陥車、のちに公害問題が大きくなり、やがて、マスキー法ができ、排ガス規制が本格化した。
{1969年6月1日、朝日新聞は「日本の自動車――欠陥なぜ隠す――日産・トヨタを米紙が批判」と報道した。NYタイムズが「アメリカで日本およびヨーロッパの自動車がリコール問題を起こしても、メーカーはそれを公表せず独自の方法で欠陥車を回収・修理している」と批判した記事を受けたもので、具体的な事例として日産のブルーバードのガソリンもれとトヨタのコロナのブレーキ故障を掲げた。この記事は国内で反響をよび、いわゆる欠陥車問題に発展した。}
―― 「創造限りなく、トヨタ自動車50年史 p524」から引用
当時、ただちに、取材に行った。トヨタ自販へ、まず行った。
率直に、懇切丁寧に、いま分かっていることを説明してくれた。
そのころIRという言葉はなかったが、トヨタ自販の広報は抜群であった。
広報の若い人が、玄関まで、送ってくれながらこう言った。「自分はこの会社に入って、この会社を信じて、誇りに思っている。こんど、このような欠陥商品が発生したことが信じられない。ショックを受けている。どうか、この機会に改善してほしい。それができると信じている。」
率直な、この言葉に、わたしは救われた。トヨタ車の再建を信じた。
そのあとで、挙母(コロモ)のトヨタ自工を回った。それほど印象にのこる情報を得た記憶はないが、「社史」には、次のような記述が残っている。
6月6日 運輸省はトヨタ・日産から実情聴取、業界各社に欠陥車の総点検指示。
6月11日 業界各社、運輸省に対策車の詳細とその回収対策を届け出。
6月12日 リコール車の新聞広告を実施。
6月17日 自工、自販 合同のリコール特別委員会発足。
トヨタ自工を後にして、刈谷の豊田自動織機へ行った。
そこで、トヨタ自工の石田退三会長にお会いするためだ。
こう言われた。
「欠陥商品が出たとは、どうしても信じられない。だが、出たのは間違いない。
工場を止めてでも、改善しなければならない。
工場を止めたら、運動会をやればよい。」
「ここにも、アメリカの顧客から届いた手紙が沢山ある。
トヨタのクルマを買って良かったという、感謝の手紙だ。」
「こういう消費者がおられるということを、はげみにしたい。」
このとき、トヨタは、まだ若かった。
若い社員から、会長まで、表現は別だが、謙虚であった。
事態の改善の意気込みが、強烈であった。
今回も、そうであってほしい。グローバル化して、巨大になったから困難ではあろうけれども、ぜひ、そうあってほしい。
一番大切なことは、社会への広報、情報開示、IR、謙虚な、お詫びの姿勢と行動であろう