515 リセットの効用
PCを買い代えた。今度は、おどろくほど順調に切り替えができた。
だけど、失われたものがある。
私が、以前のPCに残した膨大な情報である。
たとえばエクセルに打ち込んだ、経済・金融データ。
これは90年代後半からの10数年、大学の講義に使うため、収集して整理したものだ。
大学、大学院の授業の毎回の配布資料と、自分の手元資料を、作成して保存していた。膨大な量である。
いちおう、フロッピーデイスクに取ってはある。だが、それが整理されてはいないから、探すのは困難である。
もう授業はやらないから、探す必要はない。
あとは、宛名ソフトで作成した千名近い住所録やメイルアドレス。
これらは全部消えた。
このkinnyuuronnsawaは、CDとフロッピーデイスクに全部バックアップしてあるつもりである。でも、途中から目次ができていないので、探すのは大仕事である。
パソコンは、大したものだ。あるとき買いかえれば、記録は全部なくなるのだ。
人間の脳も、そうありたいと思う。
年をとると、何かと古いことを思いだしてしまう。
これは、まえにもあったぞ、というわけで、新鮮な驚きがない。
寝ながら、夢をよく見る。
たいていは、ろくな夢ではない。
そうゆうのは、全部忘れてしまえば、気楽であろう。
わたしは、車を運転していても、考え事をして我を忘れることがある。
青信号でも停まっていて、クラクションを鳴らされる。
何かを見たり聞いたりすると、どんどん連想が縦に横に広がってこんがらかってくる。そういうとき、過去の記憶が全部なくなっていたらよいな、と思うことがある。
若い人の良さは、「新鮮な驚き」があることである。
年寄りは、感動することが少なくなる。
パソコンのように、ある日、スイッチを切ったら全ての記録が消えてしまうというのは、実にすばらしい。