2007年10月31日

386  メガバンクの決算 

386 メガバンクの決算     07.10.31

10月はBMから20年であったが、日本の金融危機から10年でもある。昨30日の日経が回顧しているが、97年の11月に三洋証券、山一証券、北海道拓殖銀行の破綻があった。
都市銀行は、MIZUHO,SMFG,MUFGの3大メガバンクに集約された。
この10年、いろいろ書いてきたが、長期金利の見通しは、いまのところ間違えている。

2003.10に脱稿した多摩大学研究紀要「国債価格下落の影響」の要約を再録する。
「日本の長期金利は0.4%を底にして上昇の可能性しかない。長期金利が3.5%になったとしたら、日本国債の保有者と政府にどんな影響があるだろうか。
(1)03年度末の国債発行残高は450兆円である。これをもとにすると評価損は53兆円となる。(2)国債残高は06年度末には600兆円に近づくだろう。(3)国債の利払い額は年間9兆円である。それは06年度には20兆円に増大する。
国債問題は分析すればするほど、危機の大きさを痛感する。解決には長い年月がかかるだろう。論者は妙案を持っていないが、小泉内閣も国債問題の解決に何の策もない。それどころか、政府は巨大な債務者としての説明責任を自覚しているとは思えない。」

本文で06年度末の長期金利の水準を2.5%−3.5%のレンジとした。いちばん高い3.5%で影響を試算した。実際の長期金利水準は3月末で1.9%台であった。
国債発行残高は542兆円、利払い額は8.6兆円であった。わたしは大きく間違っているが、国債問題の本質は少しも変わっていない。危機が先に延びただけだと思う。

今、わたしは、予測の時点を2年延長して、長期金利、3.5%説を唱えたい。
だから、最近になって増税論議が起こってきたのを歓迎する。

長期金利の上昇(国債価格の下落)の影響が大きいのは、郵政、日銀、メガバンクである。
だから、来週のメガバンクの中間決算発表を注目している。
国債の損益は、国債の評価方法、株式の損益などの影響で、各社別に大きく異なる。
メガバンクの収益は予想が困難だが、有価証券の損益は外部からの分析で、傾向はつかめるはずである。






 06年度の決算から
国債保有状況 18年度 百万円 連結ベー ス

  MIZUHOー SMFG − MUFJ
売買目的有価証券
貸借対照表計上額 8,628,467 ー  1,149,952 ー  8,534,402
評価損益 5,200 ー   438 ー   31,890

満期保有目的
貸借対照表計上額 1,337,447 ー   1,112,452ー  3,255,841
時価 1,329,383 ー   1,099,387ー  3,256,798
差額 △8,063 ー  △13,065ー     957
うち国債 969,020 − 629,762 ー  2,707,097
時価 967,192 ー 621,717 ー  2,705,087
差額      △1,828 ー △8,045 ー   △2,010

その他有価証券
貸借対照表計上額 30,730,779 ー  15,014,504ー 42,791,388
取得原価 28,289,657 ー  13,189,336 − 39,407,156
評価差額 2,441,121 ー   1,825,168ー 3,384,231
うち国債 14,521,005 ー   7,010,306ー 20,210,220
取得原価 14,673,319 ー   7,150,792ー 20,276,028
評価差額 △152,314 ー   △140,485 ー  △65,807

株式
貸借対照表計上額 6,010,844ー 3,926,414ー  7,863,576
取得原価 3,317,061ー   1,953,767 ー    4,525,593
評価差額 2,693,783ー 1,972,647 −  3,337,982

エクセルでの作表、アップに悩んでいます。
 ー印 を入れて区別しました  

Posted by kinnyuuronnsawa at 11:20

2007年10月21日

385 BMから20年

385   BMから20年     07.10.20   
昨10月19日は、Black Mondayから20年目というので各紙は回顧している。日経はローソン元英国蔵相、コリガン元NY連銀総裁、内海元財務官らも登場させて二面抜きで特集している。おなじ日の夕刊のコラム「十字路」に法政大学教授の渡部亮氏が「グリーンスパンとその時代」を書いている。それで、私も20年前を思い出してみる。
当時、私の勤務先には海外拠点にエコノミスト、アナリストが大勢いた。外国人、日本人が半々ぐらいで数十名いた。渡部氏もワシントンにいた。みんな優秀だった。みんな今も各方面で活躍しておられる。
Black Mondayのあと、今後を展望する調査プロジェクトを組んだ。各国での取材を十数人がNYへ持ち寄ってレポートにまとめた。私は東京から行ったが最年長なので報告者になった。11月上旬に始めて12月半ばに終わった。
もう時効だろうから、その一部分について骨組みだけ紹介する。
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「證券市場環境の展望」        1987.12.15         
(1)世界的暴落の背景と要因
1. 株価下落の諸要因   各節とも、この下に数項目を書いている
数多くの要因が重なり、連鎖反応を起こした。
2. 下落の根本的要因
米国の対外不均衡改善に期待が持てなくなり、しかも、そのフアイナンスに変調をきたすようになった。
3. マーケットの発した警告
不均衡が拡大し続けると、世界経済を揺るがす巨大なマイナスのエネルギーが生まれるとして、市場が突然の警告を発した。

(2) 株価下落で何が変わったか
1.財政赤字減少の見通し
赤字削減努力は一歩前進したが、これまで発表された限りでは不十分である。
2, 国際協調の枠組み
ルーブル合意体制では不均衡が解消せず、この体制が行き詰まり、株価暴落が起こった。
危機への脅威から、各国は再び結束を取り戻したが、国際協調の次の枠組みはまだ固まっていない。
3, 米国の実体経済
株価暴落のアセット効果は、金利低下で打ち消され、実体経済には今のところ影響は少ない。マーケットの警告に従って、構造赤字の削減が進めば、デフレに向かう。
4, 米国の赤字フアイナンス
證券投資及び銀行経由による短期資本取り入れのための、民間資本流入のみに依存できない。外国通貨当局の介入がカギ
5、インフレ・デフレ論
インフレ懸念は消えないが、暴落後は基本的にはデフレ圧力がより大きい。

(3)不均衡改善の見通し
1. 現状での見通し
87年は対外赤字削減が絶望視され、88,89年も現状では赤字縮小が生じるとしても、小幅に留まろう。累積債務は88年、5,000億ドル台、89年は7,000億ドル台へ。
2、危機のシナリオ
対外不均衡改善に不安が現れた場合、再びドル、株価に危機が起こる。これが金利上昇をもたらし、リセッションへの引き金となる。
3、マドル・スルーのシグナル
米国の構造的問題の解決に期待が持てるようなFactあるいは指標が現れれば、危機を回避できる。少なくとも現状を延命できる。それらのシグナルは今までと同様、次のようなもの(注目点9項目をあげている)だが、今までとの違いは既に長い間待ち続けたということである。
  最後に以下を付け加えている。
国際金融システムはもろくない
1. 情報の伝達が早い。29年当時は3日、今は0.3秒。
2, 各国の首脳がホットラインで相互連絡できる。
3. 中央銀行が大銀行に直接接触して行動を起こさせる。
4, 危機回避、システム維持のコンセンサス。
5, 緊急Liquidityの供給余地がある。
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このレポートは、ひとつの予測が目的ではない。単純な予測など不可能である。
なぜ、世界規模で株価の暴落が起こったか解明する
それによってどんな要因が関係するかを探る
それらの指標はどこにあるか、どうなれば悪いか良いかを決める
そのうえで、複数のシナリオを書く
今後、状況の変化に応じて、別のシナリオを選べる

そのとき選択したのは、マドルスルー・シナリオだった。そのとおりになった。

Muddle Through 私の好きな言葉だ。あれから20年間もそうだった。これからもそうだろう。
20年前に書いた危機の分析、複雑な要素の相関図はいまでも役立っている。

さて、07.10.19のNYダウは366.94ドル、今年3番目の下げ幅、同じ日、ワシントンで終わったG7では人民元の切り上げ要望だけが目新しい。
22日の東京市場の役割は大きい。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 09:32

2007年10月15日

384 故旧忘じたく候

384  故旧忘じたく候         07.10.15

よく歩いた4日間であった。

10月11日、昭和34年に入社した会社の同期生のゴルフがあった。
最近は年2回で、これが20回目。5組集まった。このごろ参加者が減って行く。
つくばエクスプレスで行ったが、駅の周辺の宅地開発は行くたびにめざましい。
その日は、44回目の結婚記念日でもあった。

10月12日、4人の仲間で、年4回、それぞれのホームコースでやるゴルフ。
池袋から乗り、西部線の終点で降りた。改札口でカードが読めないトラブルがあった。
ゴルフは昨日の今日なので 貸しクラブだ。連日、乗用カートだったが、ボールは左右に大きく外れるので結構歩く。くたびれた。

10月13日、午後、名古屋で大学の友人に会う。時間が48年前にもどった。
午後5時から、高校の友人7名が集まってくれた。時間がさらに戻った。
と言っても、両方とも途中が断絶しているわけではない。毎年ではないが、つきあいは続いている。ありがたいことである。その日、名古屋は時代祭りというので賑わっていた。夏は暑く、冬は結構寒いところだったが、むかしも今も、ここだって10月は快適だ。

10月14日、午前中、叔母を訪ねる。この12月で満92才になられる。
両親の兄弟姉妹で唯一の生存者である。かくしゃくとしておられる。
予告なしの訪問であったが会えてよかった。
私の父母、祖父母のこと、これから行く生家のことを聞かせてもらった。また始めて知ったことが多くあった。
駅から叔母の家までの往復、小一時間はあったろうか。歩いた。
往きは登り坂ばかり、結構つらかった。あたりに大きな工場が目立ち、昔の景観とは違う。
そこから、さらに今日の法事がある生家まで歩いた。1時間半歩いた。決して快適な散歩ではない。車がビュンビュンと行き交う。歩いているのも自転車で行くのも、私のほかにはいない。ここは今は豊田市なのだ。最後の30分は川の土手を歩いた。川岸はコンクリートで固められていたが、河川敷きにはカンナやコスモスが茂り、堰には鯉が泳いでいた。
家に近づくにつれて田舎らしくなってきた。
あと2キロぐらいのところで、車で通りかかった、姪が見つけて乗せてくれた。

10月14日、午後2時。母の37回忌、父の17回忌を行う。1971年2月、1991年6月を鮮明に思い出す。両親と子供6人の家族であったが今は4人だけだ。
法事も今度が最後となろう。
鎮守の森に行って見た。両指で囲めるほどだった檜が3倍ほどに太くなっていたが、こども3人が腕を広げて囲んだ杉の巨木は同じ太さに見えた。それでも亭々と茂っていた。

突如 「歳月は過ぎてののちに、ただ老いの思いに似たり」
こんな一節を思い出した。

結婚式の半年前、はじめて妻を実家に連れて行った。
そのとき、帰りに伊東静雄の「なれとわれ」をメモに書いて渡した。
「こうでなくてよかった。」と書き添えて。

  なれとわれ       伊東静雄

 新妻にして見すべかりし
わがふるさとに
汝を伴いけふ来れば
十歳を経たり

いまははや 汝が傍らの
童さび愛しきものに
わが指さしていふ
なつかしき山と河の名

走り出る吾子に後れて
夏草の道往くなれとわれ
歳月は過ぎてののちに
ただ老いの思に似たり 




   この4日間、よく歩き、よく飲んだ。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 21:57

2007年10月06日

383  郵貯の民営化 

383  郵貯の民営化              07.10.6

郵政民営化が10月1日からスタートした。本稿では郵政を何回か書いた。
19 郵便貯金        99.5.25         232 郵貯の赤字決算 03.10.26
259 郵貯・日銀の国債  04.12.26        338 あれからの郵政  06.10.9
いちばん古いものを再録する。
第19回      郵便貯金             99.5.25               
 文芸春秋は第2次大戦中、1945年3月号を最後に休刊していたが、45年10月号から発行を再開した。それが95年10月号の綴じ込み付録となっていたので、私は大切に保存している。全部で30ページあまりで 菊地寛、大仏次郎、武者小路実篤、吉川幸次郎、柳宗悦などそうそうたる13氏がエッセイを書いている。
 広告は裏表紙だけに4社1機間が掲載している。武田薬品のほかは三和銀行、新日本生命、千代田生命が貯蓄の奨励を宣伝しているが、ほかの2倍のスペースで「郵便年金普及強調運動」の広告が目立つ。「戦後生活を切り抜けるために 老幼婦女家族の生活は安定させておかう」「郵便年金は郵便局に掛金を払込んで置けば毎年四回恩給のやうに年金が受取れます」「例えば今四十才の奥様が約二万四千円を一時に払込んで置けば千二百円宛の年金を一生涯{二十年間は必ず}どんなことがあっても受取れます」
 95年にこれを知ったとき、私が思出したのは戦時中、貯蓄奨励の掛け声のもと、国民学校で毎月積立て貯金をしていたことである。あれはどうなったのか。さらに戦後からの物価上昇も計算してみた。文芸春秋に広告がでた郵便年金がその後 どうなったかは知らない。日本政府のことだから 掛金を払った人には年金を一生涯払いつづけたのだと信じている。それにしても20年後 千二百円をもらった人の憤懣がしのばれる。もっともこの郵便局のキャンペーンに応じた人は多くあるまい。再刊された文芸春秋の定価は60銭である。雑誌の価格からだけで比較すれば、二万四千円は今の三千万円ぐらいに相当する。二万四千円を払い込める40才の奥様がそんなに多くいたとは思えないが、これだけの高額を「例えば」として雑誌広告で説明する当時の郵便局のセンスには興味がある。
 郵便局が預かっている定期性預金は98年末で 251兆円ある。そのうち満期を迎える資金は普通の年で20-30兆円といわれる。満期10年の定額貯金がかつては人気を集めており、90-91に集められたものは利息が年6%を上回っていた。その分が2000-2001年に満期償還になるので、いまから大騒ぎである。利息を合算して総額60兆円以上の資金を人々は一旦 郵便局から受け取り、それをどうするかを考えなくてはならない。もう一度 郵貯にするか他の金融、証券商品に代えるか、使うかである。
 今の国策は貯蓄でなく消費奨励である。極端な低金利で預貯金に魅力はない。金融ビッグバンの旗印のもとに株式、債券、投資信託、外貨預金など選択機会は一挙に広がった。これもいまの国策であろう。
 しかし 国策のとうりに素直に行動したら結果はどうなってきたか、悲しいことも歴史は教えている。貯蓄奨励を今こそ重要な政策にすべきだと私には思える。60兆円がまた郵便局へ戻れば、国に対する信頼が失われていないことになる。

10月1日から民営化する郵政のうち、貯金部門の資産・負債を紹介する。

郵便貯金の金融資産・負債残高    単位 億円
                2001年度末     2006年度末
金融資産残高       2,996,945        2,308,898
財政融資資金預託金  2,076,021          522,435
貸出              8,684           54,960
株式以外の証券      715,827         1,622,793 
株式・出資金         34,482           13,871
対外証券投資        68,098           32,729
金融負債残高       2,961,276         2,225,854   
定期性預金         2,393,418         1,869,789 
   出所   日本銀行  資金運用表

この5年間で大きな変動があった。
1)郵貯の安定収益源であった財融資金預託金が激減した。まもなくゼロになる。
2)株式以外の証券は殆ど国債だが、これが激増した。
3)貸出業務が増え始めた。2002年度末以来、2.0 3.5 4.0 4.3兆円のペース。 
4)定期性預金が5年間で23%、53兆円減った。

郵政のなかで、貯金は保険、郵便にくらべて収益源であったが、上記の現状をみれば今後の経営は容易ではない。

でも、すでにルビコンを渡ってしまった。あとは祈るしかない。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 15:34

382 ユートピア日本

382  ユートピア日本        07.10.5
「日本は資源のない国で、狭い国土に多くの人間が住んでいる。欧米の国に比べて、文明は遅れている。私たちは不幸な国民であり、がんばって改善をしなければならない」
わたしが中学生ぐらいのころ、教わった祖国観は、こんなことであった。
こうした認識は正しかったのだろうか。そうとは思えなくなってきた。
定量的実証なしに、定性的な論駁をするのは、好きではないが、時間が惜しいから書く。
1)資源
金。マルコ・ポーロが東へ来た。維新当時に多量の流出があった。
銀。石見だけでなく、銀山は豊富。世界での算出量シェアも日本は高かった。
水銀。なぜ、奈良、和歌山が繁栄したか。水銀のおかげだ。
2)エネルギー
石炭。良質、しかも九州から北海道まで採れ、輸送の便も良好。
石油。多くはないが、ある時期まで新潟などで産出した。
水。川、湖、海、日本中どこでも、いつでも水はあった。電力にもなった。
3) 島国。
防衛。守りに、これほどの適地はない。上陸させたのは、元寇と沖縄だけだ。
漁業。暖流、寒流が近く、あらゆる水産物に恵まれる。
隔離。島が全国を適度に分け隔て、多様な文化を育てる。
4)四季。
健康。季節の変化、通算すれば穏健、これが長寿につながる。
農業。温帯の作物は何でもできる。米作は世界最高の品質。
景観。一年中うつくしい。日本人の心も美しくなる。

こういう素晴らしい国は、そう多くあるまい。
いままでは、日本に対する自虐史観が多かったように思う。
最近になって、それが更に目だってきている。
こんな良い国だから、日本には賢く強いリーダーは不要であった。

日本が外国と戦って、痛い目にあったことがある。白村江の戦い663年、元寇1274年、1281年、朝鮮出兵1591年−1598年、そして日清戦争から太平洋戦争まで。
このうち3回は共通点がある。天智、北条時宗、豊臣秀吉、というリーダーが統一政権をつくりあげた。三人は意気軒昂であったが、国際情勢には暗く、無理な戦いを決行した。
明治以降は違う。一人のリーダーの間違いではない。政府、軍隊、民間をあげての間違いである。名前を無理につければ、明治憲法体制の指導者群の過ちである。

その背景には、日本に対する自虐史観があったと、わたしは考えている。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:07