2007年09月24日

381  また逢う日まで

381  また逢う日まで         07.9.24   

年をとると感性が鈍くなる、喜怒哀楽の情が淡白になると言われるが、わたしの場合は違うようだ。このごろ、映画やテレビを見ていて涙が出ることが多い。
ケーブルTVで古い映画をやっているので、つい見てしまう。周平の「蝉」や「清左」は何回 見たかしれないが、いつも同じところで泣ける。脱線するが、「清左」で平松という剣の強い男が出てくる。わたしはこの男が好きだ。誰を連想するかというと、その容貌も役回りも、ヤンキースの守護神ピッチャー、リベラによく似ている。

昨日、23日午前10時から12時まで、「また逢う日まで」を見た。
わたしは随分たくさん映画を見てきたが、これは初めてである。監督は今井正で、岡田英次、久我美子の主演である。東宝で、1950年3月の封切り、その年の「キネ旬 ベスト10」で「羅生門」を抑えてトップだった。
最初のシーン、二人が地下鉄のホームで空襲を避難していて出会う場面で、「WATERLOO BRIDGE」を思い出した。それは1949年がRE MAKEで、最初は1931年の製作だから、「また逢う日までの」脚本を書いた水木洋子、八住利雄も知っているはずだ。
なんだ、焼きなおしかと鼻白みかけたが、くらべものにならないほど、このほうがよい。
おなじような、戦時中の悲劇だが、あの「哀愁」という邦名でヒットしたロンドンの物語より、静かに、うつくしく展開される。
主役の田島三郎(岡田英次)と小野蛍子(久我美子)の出会いから別れまで、つかの間であるが、明るくたのしげである。映画のなかで、二人は10回ちかく逢った。岡田は大学生、久我は生活のためにポスターを書いていた。
このとき久我美子は19才であった。この16年あと、京都の南禅寺の近くを歩いている久我美子をみかけたことがある。気高い品格は周りの人たちを圧倒していた。
この映画は、脇役がいい。戦時下、三郎にきびしい父(滝沢修)、兄、(河野秋武) 蛍子の母(杉村春子)たちは、ひたむきに時節にしたがって生きている。これらの肉親は、ほんとうは二人にやさしい。最後に、滝沢と杉村が残る。
不満なのは、動員を目前にしている5人の学生仲間の行動や会話が物足りない。ただ独り、芥川比呂志が父親ばりのニヒル、ダンデイ、で場のなかで存在感を見せていた。

岡田が、出征を二日前にして久我美子と語り合う。
帰ってきたら結婚しよう、小さな一間だけでよいから新居を持とう。
久我がいう、ステンレスの小さなフライパンが欲しい、それがあれば、どんな料理でも作ってあげる。久我のセリフに、恥ずかしながら嗚咽がでてしまった。
売れない絵描きである久我がいう、小さな部屋を、どんなにでもきれいに飾り立ててみせる、二人の部屋を今から書いておこう。
彼等は、それは、しなかった。時間が惜しかった。
雪のなかを明日の10時、出征前の最後の再開を約して別れてゆく。
それは、岡田の事情で実現しなかった。

その日、駅で10時に逢うことにして、長いあいだ待ちぼうけしていた久我美子の、空爆による死は、今井正の映画は想像させるだけである。
岡田英次の戦死は、出征前に久我美子が書いてあげた肖像画だけで示される。
戦地からの手紙を岡田の父、滝沢と、久我の母、杉村が聞く、これがラストシーンである。

見ていた2時間、かたときたりとも、眼を離せなかった。
ああ、「羅生門」がグランプリを取った日本映画の青春期。

だが、わたしはこの映画は、今はじめて見てよかったと思う。

  

Posted by kinnyuuronnsawa at 23:25

380 私の政治家論

380  私の政治家論    07.9.23

今日は、自民党の総裁に福田康夫氏が決まった。

私は、仕事がら、ずいぶん多くの人に会って話を聞いていた。
いわゆる、著名人を分類すれば、経営者、政治家、学者、芸術家、職人、など多様であろう。そのなかで、わたしは経営者との面談が圧倒的に多くて、政治家との出会いは少なかった。必要もなかった。官邸で、現職の首相と、サシで話したのは、A氏と2回、B氏と1回だけである。国会に参考人として呼ばれたことがある。それは貴重な経験であった。大したもので、官報に全文が記録されているから、いつか書くことにする。

80年代後半のあるとき、主要省官房の課長クラスの勉強会に同席したことがある。
ゲストに、後藤田正晴さんが来て話してくれた。まだ官房長官だったが、その半生を回顧して、話は枯れていた。カミソリと言われていたが、その眼はとてもやさしかった。
印象に残っている言葉がある。
「陣笠というが、選挙で3万―5万の票を取ってきている。馬鹿ではつとまらない。」
午後9時半ごろ話が終わると、キットした眼で、エリート課長たちを見渡し、「国会は明日がヤマ場だ、早く持ち場に帰って対応せよ」と 声を荒げた。眼はとてもきつかった。
クモの子が散るがごとく、消えていったなかの何人かは、あとで自分の省の事務次官になった。役者がちがうという言葉を、そのとき思った。

私が敬服しているのは、政治家の記憶力である。古いことでも、メモも 持たずに、年月から数字から条文まで話すことができる。ベテランになるほど出来る。これは、繰り返し話しているからであろう。学者は自分で読み、自分で書く。政治家は人から聞いて知り、人に話すことによって練られ蓄積できる。情報処理の方法が違うように思われる。
選挙にしたって、何百回、演説や会話をするのか、門外漢には想像するだけでも、気が遠くなる。話すことが政治家を鍛えてゆく。今回の総裁選挙で、福田、麻生氏は、公衆や、メデイアに対して対談をさせられた。何回だか数えてみるがよい。常人の神経では耐えられない。それができるのが政治家である。
むかしの政治家は、日記を書いていた。あれは、情報の整理、蓄積の手段である。いまの人は書いているだろうか。外国では、辞めると回顧録を書くから、在任中の記録はのこしているのだろう。このごろ日本では、本人でなく秘書が克明な回顧録を出版している。

私は政治家を尊敬している。政治家の個人の能力を高く評価している。安倍氏は僅か13年の議員暦である。福田氏は、50歳からの政治家だから経験21年である。13年、21年は、大会社では、課長、部長の入社以来の経験年数である。
年令でなく、当選回数が政治家を鍛える。選挙で生き延びてきた政治家の成長はたくましい。
われわれは、マスコミの政治家揶揄にだまされてはいけない。

先にあげた専門家の分類(経営者、政治家、学者、芸術家、職人)で、独りで、徒手空拳で公衆の前に出られるのは政治家だけだ。
魯迅の詩を思う。「眉を横たえて冷やかに対す千夫の指」

わたしが最初にサシで会った議員は、いまや元老である。当時、エレベーターまで送ってくれながら、こう言った。「おそろしいものですね。初当選のころは、議員パスでグリーン車に乗っていると落ち着かなかった。今では平気になってしまった」
正直な人だと思った。こういう気持を失わない政治家もいると思う。

わたしは、マスコミの政治論、政治家批判を鵜呑みにはしたくないと、いつも思っている。






  
Posted by kinnyuuronnsawa at 08:06

2007年09月21日

379 メガバンクのリスク

379    メガバンクのリスク   07.9.20

有価証券報告書というものがある。企業が証券取引法にもとづいて発表しており、これにまさるデイスクロはない。ところが、最近は二つ問題がある。一つは、電子フアイル制とやらで、文書での公表を、ないがしろにしている。もう一つは、公表すべき情報が多すぎて、よほどの専門知識のある閑人でなければ、読めるものではない。
メガバンクは銀行法にもとづいて、8月ごろまでにデイスクロ資料を配布している。そのなかに有価証券報告書の記載内容がふくまれている。
たとえば、三菱UFJフイナンシアル・グループの場合、全部でA-4 上質紙384ページであり、他のメガバンクでも頼めば、嫌そうにではあるが、店頭で渡してくれる。

大学生や大学院生、OBのみなさんにお勧めします。デイスクロ資料を、ぜひ読んでみてください。
とくに、三菱UFJGの場合、18ページから36ページのリスク管理の項は開いてみるといい。BSやPLなど、数字は一切でてこない。そのあと、37―40ページのコンプライアンスの項に続いている。この部分は、みずほ 58−73ページ、三井住友 36−49ページである。

三菱UFJGのリスクは、こう分類されている。
信用リスク、(信用供与先の財務状況悪化等により損失を被るリスク)
市場リスク、(金利、有価証券の価格、為替等の変動により損失を被るリスク)
資金流動性リスク、(オペレーショナルリスク、 事務リスク、情報資産リスク、評判リスク)
コンプライアンス、内部監査

この18ページから40ページは、熟読に値する。金融業の本質が書かれている。
金融業は、資金を調達して、運用する。調達コストを上回る運用リターンが収益である。
それを、会社トータルとして最大にしようとするのが、メガバンクの業務である。ところが、調達、運用、双方にリスクがあり、近年はそれが増大し多様化している。一方、リスク回避、管理のテクノロジーも進歩している。それが巧みな人や会社が、この業界で勝ち残るのだ。
ここではリスクの管理体制も書かれている。これは、金融論のすぐれた教科書である。 

ところで、現実には何が起こっているか。
9月19日の朝日新聞は、マネーロンダリングの摘発を報道している。
「三菱UFJGの米国法人(UBOC)が米国の金融当局から課徴金を課せられた。(米司法省からの課徴金2160万ドル、米金融犯罪捜査局からの民事制裁金1000万ドル)。」
「麻薬密売にからむ資金洗浄に、UBOCの口座が使われていたのを、銀行が見逃していた。」  おなじ日の日経によると、04年、05年にも指摘され、業務改善命令がでていた。

9月20日の日経1面が報道している。
「ニコス、1000億円の赤字、 従業員4割削減、三菱UFJ主導で再建へ」
クレジットカードの最大手の三菱UFJニコスは、利息制限法の上限金利規制により、過払い金の返還請求を受けている。それにより業績が悪化した。
9月21日の日経は追いかけている。
「三菱UFJGは、ニコスを完全子会社化して上場廃止、信販部門は同じグループのジャックスに移す、従業員の6割、2900人を3年間で削減する。」

三菱UFJGが、続けさまに受けた損失はなんだろうか。
これが、コンプライアンス・リスクである。
前者は、9.11以後、米国の規制が格段に厳しくなったことの軽視である。
後者は、昨年1月の最高裁判決(利息制限法の上限を超える貸出金利の受取りができなくなり、過去の支払い分の返還にも応じなけれならなくなった)の影響の軽視である。

前ページに述べた、三菱UFJGが18ページにわたって叙述しているリスク管理より、もっと恐ろしいのはコンプライアンス・リスクである。
法律や、ルールは守らなければならい。当然である。
だが、それらは絶えず変更される。日本だけでなく、グローバルな事情で変わる。
企業は、それをウオッチして対応を変えなければならない。

企業が大きくなることは、グローバル展開するということは、かならずしも安定するということではない。リスクも巨大化するということである。
メガバンクを見ると、私にはそう思えてならない。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 16:14

2007年09月19日

378  私の魚釣り考

378   私の魚釣り考    07.9.16

残暑がきびしい。今年は私の部屋でも、寒暖計が存在を主張していたが、赤いアルコール液が入っているガラス棒が、目盛り盤から外れ落ちてしまった。さすが100円ショップだ。セロテープで固定したが、まだ今日も30度を上回っている。

突然、魚釣りのことを書く。わたしは、これを好きではなかった。
小学2―3年の頃、名古屋から離れて、祖父母の家に預けられていたとき、近くの小川に魚釣りに行った。ミミズの掘りかたから教えてくれた地元の上級生がいた。水が流れるのは、せいぜい1-2m幅の小川で、1回に4-5匹のモロコが釣れた。連れていった弟は、そのたびに穴を掘って埋めた。わたしは、家にかえって食おうと思っていたので、そのたびに怒った。10何年以上あと、映画、「禁じられた遊び」を見たとき、あのとき怒らなければよかった、と思った。その弟は、魚釣りが好きになった。やがて終の棲家となった、いまは豊田市にある鞍ガ池は、当時は周囲1里といわれ水もきれいだった。中学生になっていた弟は、年に何回か自分で裏薮の竹でつくった竿を数本かついで、夕方まで釣りに行った。無関心な私も、朝飯を届けに行ったことがある。「もっと早く来ればよかったのに。朝日がさしこむとき、あの対岸の水辺が紫色に輝くんだぞ」。20年前に突如、癌で死んだ1年下の弟の言葉は今も覚えている。

この夏のある日、北海道で釣りをした。私のほかは、A、B、C、D氏の4名。前夜、B、C、D氏と私が温泉に泊まり、翌日の昼前、師匠であるA氏が峠まで迎えにきてくれた。総勢5名である。師匠以外の4名はズブの素人である。

「道具」   A師匠がセットした一式を貸してくれた。浮きは無し、プラステイックスの小さな黄色い目印があるが、それは水中に沈んでしまう。竿は軽くて、好く しなう。長靴も用意してくれた。これが役にたった。
「餌」    糸ミミズと、ブドウ虫と、それと同じ大きさの赤い虫、みんな生きている。ミミズは針につけるのが難しく、私はブドウ虫でやった。長さ2センチほどで体型は蜂の子に似ている。
「入れ方」   師匠から、ここに入れよと教わった。流れの速いところはダメで、水のよどんだところがよい。その日は大雨の翌日で川は増水していた。水が濁っていると、魚も餌が見えない、だから台風明けの今日は難しいと、師匠が言はれた。いちいち納得できる。
「合わせ方」  水中に沈んでいる目印を見ながら、竿先の感触も感じて合わせる。魚は見えない。水中に岩や木の根や枯れ木などがあるから、ひっかけやすい。
「場所」  車を止めて、ある川の上流から順に場所を決めて、竿を下ろして行く。午後の数時間で師匠は7回、私は3回、竿を下ろした。われわれの他には誰もいない。川の音だけが聞こえている。道路から川まで草やぶは、短いが深い。川のなかにジャブジャブ入ることもある。なるほど、ここでは長靴が役に立つ。
「釣果」  オショロコマというウロコの斑点がきれいな魚が釣れる。私は1回目の場所ではアタリを何も感じなかった。2回目の場所で2匹、3回目の場所で1匹釣れた。そのあと、ひっかけて糸が切れたので釣りは止めにした。われわれ弟子ども4名で合計10匹程度、師匠は一人で、その3倍を釣り上げた。小さいのは川に逃がした。
「ねばり」  弟子4人が竿をたたんだあと、師匠は1時間近い探索とねばりの結果、大きなニジマスを釣り上げた。釣りは、いろいろな技術の集積で、素人と名人の差がはげしい。
ここでも必要なことは、ねばりであり、執念である。
「生態系」  この川には、ダムといくつかの堰があった。そこで魚は止められるから、上下で生態系が変わることが、手に取るようにわかった。海の魚は、あるところまでしか、さかのぼれない。むかし上ってきた魚は下りられないから、そこで生存し適応する。魚にとって川は連続的ではなかったのだ。こんなことも、私は関心がなかった。
「あと始末」  釣った魚は、師匠の手料理により5人で全部食べた。川に残したものは何もない。海では、コマセに大量の米ぬかを撒くと聞いたが、この渓流釣りはクリーンだ。
ただ、わたしが川底に引っ掛けた針と糸は残ってしまう。

師匠のA氏は、オーナー経営者で現役である。夏は北海道で過ごすことが多い。
この半日間、7箇所でクルマを降りたほかは、助手席で師匠の話を聞いた。企業経営や生臭い経済・金融の話は何もなく、話題は北海道の自然であり、生活である。

釣りをするということは、場所の選定、天候の見極め、熊や鹿との出会い、春、夏、秋の自然との調和、孤独との折り合い、など総合的な能力を必要とする。それがあってこそ楽しめるようだ。これは、現代の文明人としての資質のほかに、古代からの自然人の感性も必要とするように私は思った。だから、奥が深い楽しみなのであろうと、納得できたのである。

北海道へは私も何十回も来ている。だが、いままでは何も知らなかった。
今回は、長靴で林や川の中を歩き、何も考えずに水を見て、クルマの中からは、広大な平原や紅葉が近い山々を見た。しかも師匠による個人教授がついていた。

その夜、4人の弟子は師匠を囲み、釣った魚と北海道の酒を楽しみ、半日の魚釣りの復習をした。それは私にとっては、人生の予習にもなったような気がする。

暑かった今年の夏、あの日は最高の日であった。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 20:43

2007年09月06日

377  絶なり、この仏像

377  絶なり、この仏像         07.9.6

9月2日、向源寺の十一面観音を拝観に行ってきた。はじめてである。
米原から北陸本線で20分ばかり、高月という無人駅に着く。駅の前は、ひろびろとしており、商店も看板も何もない。コスモスの咲き始めている一角や、稲穂が垂れている田圃をみながら、山のほうへ数分も歩くと山門が見える。道路の左側の細い用水が涼しげである。
境内には、寺らしい建物は山門と本堂しかない。山門の近くに松、杉、欅などの大木が茂り、風通しがよい。小さな本堂のあたりは明るい空間である。簡素な眺めである。ここは向源寺の飛地である高月町大字渡岸寺(どうがんじ)にあるから、渡岸寺観音堂という。

実は、30年ちかく前も、行こうと思って調べた。その資料が日本古寺美術全集の向源寺のページに挿んであった。それや、これや、今度の訪問でも知ったことを書いておく。

聖武天皇の天平8年(736年)、勅願により泰澄という僧が十一面観音を彫り、寺を建て安置した。801年に比叡山の僧、最澄が七堂伽藍を建立した。当時は光眼寺と言ったらしい。元亀年代(1570-73)浅井―織田の戦乱により寺は焼失した。住職の巧円と土地の住民たちは、十一面観音を土中に埋めて守った。その後、光眼寺を廃して向源寺を建て、秘仏として守ってきた。明治30年、特別国宝に指定された。大正14年、向源寺が発起し地元の事業として本堂を建てた。昭和28年、新国宝に指定され、昭和49年以来は収蔵庫に安置されている。

その収蔵庫は本堂の隣、まことに殺風景な建物である。
なかに入っておどろく。左側に十一面観音が一体だけ、右側に大日如来を中心に数体の仏像が安置してある。十一面観音の周りに四角い低い囲いがある。囲いから仏像へは手が届かんばかりの距離である。ここは、前後左右、四方八方から拝観できるのだ。こういうのは初めてだ。あとで、拝観受付で聞くと、こうなったのは昨年からだという。
何度も何度も回って拝観した。やはり一番よいのは正座して拝むことである。
斜め左から仰ぐのが最も美しい。長い右手は膝にとどくほど垂れ、左手は90度にまげて腋につけ、水瓶を3本の指だけでつかんでおられる。
すべて簡素である、正面の祭壇にも小さな松と、ローソクが一本づつだけ、じつに行き届いた展示である。天井に埋め込まれた16個の電灯が気になれば、仏像の陰に居て拝めばよい。
頭上に十一体の小観音を載せている。上に1体、前、右、左に3体づつ、後に1体、役割が、ちがい、表情が同じではない。後ろの大笑面像は歯をむきだしているユニークな仏像だ。
ここでは、こういうのも、手に取るようによく見える。

やはり、この仏像は評判どおりである。これほど完全に保存されている仏像は少ない。しかも、激しい歴史のなかで村人が守ってきたというのだ。日本はすばらしい国である。
山門を出ると、左手に渡岸庵という茶店風の店があった。そこで作務衣を着た亭主から、いろいろ教わった。すぐ前に見えるのが小谷(おたり)山、浅井、朝倉をアザイ、アザクラと発音して、元亀の戦いを語る。古代は、この辺に仏師が多く住んでいたらしい、大陸との関係が深かった。湖北はいくらでも見るものがある。また来たら、いくらでも解説するということだった。

その夜は世界陸上をみたのだが、昼間は古い国際交流を思い出していた。

9月3日、太秦の広隆寺へ行ってきた。これで何回目だろうか、いつも新鮮である。
バス通りに面した山門をくぐると、ツクツクボウシが鳴いている。広い境内をつきぬけ霊宝殿に直行する。目当ては弥勒菩薩だ。

こんなにも、小さかったのか、と思った。坐像の高さ84.2cmだから、そう小さくはない。
この仏像は右からのアングルがよい。細い腕、細い体が目立って見える。ここの展示は前からだけで、正面にいろいろ供えてあるから見やすいわけではない。
でも、床より少し高く、上がって座れる場所が用意してある。そこに正座して、こちらも瞑想にふけるのが一番良い。
学生時代、この仏像の四つ切の写真を机の前に張っていた。「やすらぎよ、知恵あるものの美しさよ」、と書いておいた。あと2枚は、興福寺の阿修羅像と新薬師寺の伐折羅大将だった。何も知らなかった20才ごろのことだ。       

昨日、今日で二つの絶品を鑑賞できた。
(1)場所  
あの十一面観音、高月駅は、国宝に最も近いJRの駅ではないか。まだ界隈は俗化していない。太秦、バス通りに山門の屋根が接している広隆寺、ここに第1号の国宝があるのだ.。
(2)展示
二つの絶宝とも見せる努力をしている。
仏像から美術品への転換を遂げている。だから国宝でよい。
(3) 受信
はじめてみた十一面観音、むかしからの弥勒菩薩、こころのなかで並べてみた。
ちがうところ、おなじところ、まだ言葉には、まとまらない。

なさけないことだ。気がついてみれば、またたくまに、時間が過ぎていた。

若い日からの時間も、この日の時間も。                


  
Posted by kinnyuuronnsawa at 22:08

376 大阪の世界陸上(2)

376 大阪の世界陸上(2)      07.9.4

レベルは高い

(女子走り高跳び)
これほど美しい競技はない。決勝へは16名残っていた。みな長身痩躯、法隆寺の百済観音が天に舞えば、かくのごとくであろう。あとで記す優勝選手の身長は194cmだ。競技の位置は、第3、第4コーナーの中間、助走の長い人はトラックに触れんばかりだ。1m80からスタート、85も全員クリアー。競技の間に、前日の男子棒高跳びの表彰があった。米国のウオーカー選手に金メダルを渡すのは、あのブブカだ。走り高跳び跳躍前の選手も動きをとめて、3本の国旗に敬礼している。わたしの席は掲揚塔の真下、前から6列目だ。
90、94、97、2mとバーの刻みが小さいから選手はたいへんだ。終わるまでに3時間かかる。2m03のあと、3名が2m05に挑戦、クロアチアのブラシッチ選手が最後のジャンプで跳んで優勝した。いちおう世界記録の2m10に挑戦して失敗したあと、観客席前方へ走り、クロアチアの国旗を受け取った。それをかぶって走り出した彼女の涙を見た。美しかった。
(男子槍投げ)
110mを投げれば、走り高跳びの砂場(今はマット)に近づきそうである。助走は南側のゲートから始まる。決勝の12名のうち自己最高の90m以上が4名いる。槍はスタンドの最上段ぐらいの高さまで上がって落ちてくる。夜空にキラキラ光って、こちらに向かってくる。相当な迫力である。途中で前日の4継の表彰があった。金、米国( 37秒78)、銀、ジャマイカ(37秒89)、銅、英国。ジャマイカの選手が米国の選手の肩をたたいて祝福している。8人とも黒人だ。日本(38秒03)の5位は大健闘である。槍はフインランドのピトカマキ選手が6回目に投げた90m33が優勝記録となった。90mスローはこれだけだった。
(男子5000m)
15名のうち7名が自己最高12分台である。5000mを12分で走るということは、400mトラックを平均57.6秒で回るということだ。だが、スローペースではじまった。この間、槍投げも走り高跳びもやっているから、3種目同時にみている。入場料1万6000円は安い。4000メートルまで一つの集団だった。その後ようやく縦にバラケて、最後は6人が一団となってゴールした。優勝した米国のラガト(ケニア生まれ)は1500mにつぐ二冠だが、記録は13分45秒87と平凡、まさに勝負だけに集中したレースだった。だが、翌日の新聞によると、彼は最後の一周は52秒8で走った。驚異のスピードである。
(男子800m)
みんな若い。19才が1名、21才が2名、27才の2名が最年長。9名のうち3名は1分42秒台の自己最高を持つ。だが、これもスローペース。牽制しあっていた。ゴールは大接線だ。1位イエゴ、ケニア(1分47秒09)、2位、リード、カナダ(1分47秒10)、3位、ボルザコフスキー、ロシア(1分47秒39)。最後は絶景だが、若いのだから初めから飛ばしてほしかった。
(女子1500m)
 トラック女子、最後の個人競技。4分程度でおわるので見るに手頃で、スピードも駆け引きもある。だが、あまり印象に残らず終わってしまった。槍投げと走り高跳びが、最終段階であったことにもよる。1位、ジャマール、バーレン、2位、ソボレワ、ロシア、3位、リシチンシカ、ウクライナ。1位と3位は今年のベスト記録を出した。2位もそれに近い。旧ソ連の二人が健闘した。ほんとうは良いレースであった。
(女子マイル)400m×4名
マイルは、4名が1周づつ走るから、スタート前の足ならしも全員が第1コーナーに集まる。女子の集団ははなやかである。その前にサブトラで、最後の練習は済ませてある。
この頃、ようやく槍投げと、走り高跳びの優勝が決まった。あとは二つのリレーだけである。
米国は強い。3分18秒55は4人で割れば、1周49.63秒だ。それでも、世界記録の3分15秒17には遠く及ばない。どんな大会でも、バトンミスなどアクシデントがあるものだが、何の波乱もなく、米国は、2位、ジャマイカ、3位、英国からの圧勝だった。

(男子マイル)
これを、いちばん期待していた。今年、米国チームだけが3分割れを出していた。
世界記録は2分54秒20である。今大会、400のフラットレースでは、米国の3人のスコンク勝ちだった。だから期待していた。米国の1,2走はとばしていない。2走まではジャマイカが2位につけていた。ここから米国のリードがひろがる。アンカーのウオリナーは2位を30mぐらい離してのゴールだった。記録は2分55秒56で、世界記録の2分54秒20には及ばない。だが、すばらしい走りを見た。満足である。

(日本の今後)
英国はしぶとい。リレー4種目の結果を要約する。
男子4継 (1)米国、(2)ジャマイカ、(3)英国 
マイル (1)米国、(2)バハマ、(2)ポ−ランド
女子4継 (1)米国、(2)ジャマイカ、(3)ベルギー、(4)英国
マイル(1)米国、(2)ジャマイカ、(3)英国

英国は、 メダルは全部で5個なのに、花のリレーで3個をせしめている。

最終日には、ユニオンジャックを会場にひるがえしている。
ブラックパワーも、ロシアのシブトさにも、大英帝国は、われ関せず、存在感を示している。

たかが陸上というなかれ、いろいろと感ずることの豊かな、大阪の世界陸上であった。

  
Posted by kinnyuuronnsawa at 00:30

375 大阪の世界陸上(1)

375  大阪の世界陸上(1)        07.9.4

世界は広い
  (開催国) 開場は9月2日午後6時半の予定。まだ、日曜日の午後5時ごろだというのに、地下鉄御堂筋線の天王子あたりは、人ごみでいっぱいだ。首から入場カードをつるした外国人がめだつ。たいていはスニーカー、Tシャツ、半ズボンといういでたちだ。わたしの泊まったホテルでも、三ヶ国語で案内や注意書きが大きく板書されていた。大阪も国際イベントを開いている雰囲気がある。しかも軽々とこなしているようだ。世界に通用する都市である。

  (ボランテイア)地下鉄の長居駅を出ると、はやくも道案内の人が並んでいる。スタンドの誘導も行き届いている。トラックではスターテイングブロックを片づけるなど、競技補助員の動きが鮮やかである。日、英、仏語の場内アナウンスも簡潔だ。大会は成功だ。

  (地元の選手) 午前中の女子マラソンでは、土佐選手が3位に入り、男女あわせて唯一のメダルをとった。大選手団を送ったが、メダルは銅1個に終わった。最終日の夜は、日本選手は一人も出場しない。そんな開催国があったかどうか知らない。でも、おちついて見られる。なにしろ、大阪は阪神フアンの地元である。これでいいのだ。

  (情報社会) スタンドのなかでデイリープログラムを買った。広告だらけのくせに1000円は高いとおもったが、あとで驚いた。なんと昨9月1日の競技結果も全部のっているのだ。もちろん今夜の出場選手の自己ベスト、本年ベスト記録は出ている。文字が小さいからスタンドで読むのはシンドイ。考えてみれば、今はこんなことは簡単にできるのだ。

 (国旗、国歌) 競技が終わると優勝者が国旗をひろげてウイニイング・ランをする。リレーが多いから4人がワイワイと大きく1周するから、見ごたえがある。選手の表情が実にいい。
もちろん、前日の優勝者の表彰がある。本日の分もある。3本の国旗があがり、1位の国の国歌が演奏される。競技の途中の他国の選手たちも国旗にむかって立礼する。大阪の観衆は全員立ち上がって礼をつくす。これは、国歌と国旗の意義を思い出したイベントであった。

 (ブラック、ホワイト) 9月3日の朝日・朝刊による、3メダルの獲得数である。米国26、ロシア16、ケニア13、ジャマイカ10、この4カ国だけで65、全体141の46%である。
米国選手には黒人系が多い。ケニア、ジャマイカ、エチオピア、バハマ、キューバ、エクアドル、パナマ、ブラジル、ドミニカ、チュニジア、ウガンダ、など、ブラックパワーは今回も爆発した。
それより意外だったのは、崩壊した旧ソ連である。ロシア16、ベラルーシ3、エストニア1、ウクライナ2、カザフスタン1と、メダルは23ある。うち、金6、銀11と内容が濃い。今ではステートアマは居ないだろうに、夏の大会なのに、旧ソ連邦は大活躍である。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 00:20

2007年09月01日

374 4継とマイル

374  4継とマイル      07.9.1

今夜(8.31)も世界陸上をテレビでみていた。ある民放の独占放送だから、見る側のフラストは大きい。まず、キャスターだか解説者だか、のべつ話しているのが邪魔である。聞いていると、日本選手は、みな勝ちそうである。これは、気になったら音声を消して見ればよい。次に困るのは、独占放送だから、コマーシャルが過剰である。ナマでなく、録画も多いから局側のやりたい放題である。
むかし、「自然薯と浪花節は、いいところで切れる」と、古老から教わった。いま、この警句を理解する人はなかろうが、わたしは「自然薯、浪花節」放送にも我慢して、今日も見てきた。

ようやく、8時50分ごろ、今夜(8.31)の目玉の400mリレー予選になった。
ギョウカイ用語では、これを4継という。1600mリレーは、マイルだ。
4継こそ、陸上競技のなかで最高のハイテク競技だと思う。最も早く走る4人がいる。バトンタッチという、途方も無い技術がある。個人とチームプレーの極度の合成が要求されるのだ。100mで10秒を切った人はそう多くはない。スタートに時間がかかるのだ。だが4人でリレーすれば、スタート時の時間ロスが減らされる。4継では日本でも40秒以内の記録ができる。

今夜(8.31)、日本チームは予選で3位となり、決勝に進出することが決まった。塚原、末継、高平、朝原のオーダーで、記録は38秒21、日本新記録、およびアジア新記録である。おなじ組の1位はジャマイカ 38秒03。2位は米国だ。明日(9.1)決勝だが、これでよい。これまでで充分である。予選とはいえ、米国を食ったジャマイカの強さも嬉しい。

1948年、戦後はじめてのオリンピックがロンドンで開かれた。敗戦国日本は参加できず、おなじころ開かれた日本の競技会で、水泳の古橋、橋爪が、次々に世界記録を更新していた。

その ロンドンで陸上競技では、小国 ジャマイカの選手が驚異のデビューをした。
次の1952年のヘルシンキでは、さらにジャマイカ勢の活躍はめざましく、マイル(1600リレー)でも米国をおさえて優勝した。
記憶がまちがっていなければ、レミギノ、ウイント、ローデン、マッキンレーのメンバーである。

ジャマイカの台風と言われたマッキンレーは日本へ来た。クラウチングスタートをはじめて知った。彼の着ていたような、トレパンが売り出され、わたしも買った。
今夜(8.31)の4継では、そのジャマイカや、米国と、対等に走っての決勝進出であった。

明後日(9.2)は、最終日を見に長居競技場へゆく。400mで1,2,3位を独占した米国が、最後の種目のマイルで、どんな記録をだすか楽しみである。
  
Posted by kinnyuuronnsawa at 12:27